【せ】征夷大将軍(せいいたいしょうぐん) ~前編~ | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

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征夷大将軍・・・

古代、蝦夷を鎮撫するために派遣される遠征軍の指揮官。

令外の官であり、征夷将軍とも。

鎌倉時代以後、幕府の首長、武家政権の最高権力者。

鎌倉幕府を開いた源頼朝以後、室町幕府の足利氏、江戸幕府の徳川氏と引き継がれ、俗に「将軍」と呼ばれた。

慶応3年(1867年)の王政復古によって廃止されるまで続いた。

(NHK朝ドラ『カムカムエヴリバディ』より、架空の時代劇番組『破天荒将軍Ⅲ』)

 

 

 

 

 

お代官様や江戸幕府将軍の家斉さんの話を記事にしましたので・・・

今回は将軍様についてです。

 

 

 

各幕府の創始者が源氏出身ということがありまして・・・

 

鎌倉幕府→源頼朝

室町幕府→足利尊氏(足利氏:源氏出身)

江戸幕府→徳川家康(徳川氏:源氏出身と称する)

 

征夷大将軍=源氏 というイメージが強く、源氏出身者がなるものという認識が強いかと思います。

 

 

 

もちろん、鎌倉幕府以前は源氏とは関係なく・・・

大伴弟麻呂、坂上田村麻呂、文室綿麻呂の3名が、征夷大将軍(征夷将軍)に就いてます。

なお、征夷大将軍ではなく、征東大将軍などの官名で同様の役割を果たした人物は他にもいます。

(坂上田村麻呂:シネマ歌舞伎『阿弖流為』より)

 

 

 

鎌倉幕府ですが・・・

源氏の源頼朝の征夷大将軍 任官により鎌倉幕府が成立に至ったと言われてますが・・・

(源頼朝:大河ドラマ『鎌倉殿の13人』より)

 

頼朝が朝廷に「大将軍」の称号を望んだのに対して、朝廷では「征夷大将軍」「征東大将軍」「惣官」「上将軍」の4つの候補から、先例や吉凶等を踏まえて「征夷大将軍」が選ばれたそうで・・・

必ずしも「征夷大将軍」ではなくては、いけないものでもなかったようです。

 

 

 

また、正治元年(1199年)の頼朝の急死後に、幕府は朝廷に源頼家が後継者であることを伝え、同意を得ているようですが・・・

その時点で征夷大将軍には任官しておらず、その3年後に任官。

鎌倉殿の継承に、征夷大将軍が絶対条件ではなかったようです。

(源頼家:大河ドラマ『鎌倉殿の13人』より)

 

 

 

そして、建保7年(1219年)に3代目将軍の源実朝は、頼家の子である公暁によって暗殺され・・・

源氏将軍は3代で断絶・・・

(源実朝と公暁:大河ドラマ『鎌倉殿の13人』より)

 

 

 

その後は、藤原摂関家出身の藤原頼経(幼名 三寅)が将軍として推戴され、鎌倉幕府では摂家将軍が続き・・・

その後、5代執権 北条時頼の時に、御嵯峨上皇の皇子 宗尊親王が将軍となり、鎌倉幕府では親王将軍が続くということになっています。

(三寅と北条義時:大河ドラマ『鎌倉殿の13人』より)

 

 

 

鎌倉幕府は約150年続いていますが、源氏将軍であったのは通算で30年にも満たないそうで・・・

必ずしも、征夷大将軍=源氏 という認識があったわけではないようです。