総社古墳群・・・
前橋市総社町を中心とした、利根川西岸の南北約4Kmにわたって分布する古墳群。
5世紀後半から7世紀後半にかけて連綿と築かれ、この地域を治めた豪族の墓とみられる。
規模や技術、出土品の質から東日本でも有数の古墳群。
現在、6基の大きな古墳が残っているが、遠見山古墳→王山古墳→総社二子山古墳→愛宕山古墳→宝塔山古墳→蛇穴山古墳の順に築かれたと考えられる。
10月末の土曜日、群馬へ日帰り旅行してきました。
前回の記事では、総社古墳群の古墳の一つ宝塔山古墳のことを書きましたが・・・
今回は、他の古墳についてご紹介します。
もっとも、古墳群のうち、ちょっと離れた場所にある遠見山古墳、王山古墳には行ってませんので、こちらはご紹介できません。
他の4基がけっこうご近所なんですよね。
まずは、前回の記事の宝塔山古墳のすぐ東・・・
蛇穴山古墳へ。
宝塔山古墳の頂部から東へ望むと蛇穴山古墳がちょうど見えます。
白い建物が前橋市総社歴史資料館で、その奥の盛り上がった小山が蛇穴山古墳です。
近寄ってみますと、全貌はこんな感じです。
一辺が約40mほどの方墳で、墳丘は2段築成と考えらているようです。
上毛野(古代上野国)地域でも最終末の7世紀末~8世紀初の築造と考えられているそうです。
墳丘の斜面には後世の石塔・石仏のようなものがありました。
こちらにも南面に横穴式石室があります。
石室の内部は、このような感じです。
後で調べてみますと、奥壁に蛇が刻まれているそうですが、後世のものらしいです。
仁徳朝時代の武人に上毛野田道という人がいまして、蝦夷の乱を押さえるため遣わされたものの敗死したそうですが、後に蝦夷が田道の墓を掘り起こしたところ大蛇が現れたという話が日本書紀にあるそうです。
その伝承を意識して刻まれたもののようです。
次に、宝塔山古墳から北西300mに位置する古墳・・・
愛宕山古墳へ。
天狗岩用水の西岸に、こんもりとした小山・・・
こちらが愛宕山古墳です。
けっこう大型の古墳です。
円墳とされていたそうですが、調査にて一辺55mほどの方墳であることが分かったそうです。
7世紀初頭の築造と考えられているそうです。
南に開口する石室は、全長約7mの両袖式横穴石室で、県内でも大きな規模のものらしいです。
石室入り口に小虫が充満していたので、中まで入りませんでしたが、奥にカメラを向けますと、こんな感じでした。
家型石棺が現存しているそうです。
あと、総社二子山古墳に行ってますが・・・
そちらは次回に。