吉良義央・・・
江戸時代の幕府の高家 。
「義央」は「よしなか」、「よしひさ」とも呼ばれる。
通称は上野介で、『忠臣蔵』の敵役として有名。
領地では名君だったとの話もある。
江戸東京博物館に行く前に、本所松坂町公園に寄ってみました。
公園といいましても、忠臣蔵の討ち入りの舞台・・・吉良邸跡です。
もっとも、公園は29.5坪(約98平方m)で、実際の吉良邸は2577坪(約8500平方m)ですので・・・
吉良邸の一部跡ということになります。
入口の碑には「赤穂義士遺跡 吉良邸跡」の文字。
どうしても、赤穂浪士の方が主役になっちゃいますよね・・・。
中に入ると、こんな感じです。
奥には、吉良上野介の像が設置。
脇には「首洗い井戸」と表示された井戸。
あとは、邸内にあったという松坂稲荷社があります。
もう少し、何か欲しい感じですね・・・。
<オマケ①>
しかし、本当はこの90倍のエリアがあったということは・・・
赤穂浪士47人の一人当たりの持ち回りは、このエリアの約2倍くらいってことですね。
暗い中で、一人当たりの平均持ち回りがそれくらいってことは、よく討ち取りましたね・・・。
<オマケ②>
吉良吉影でなく・・・
吉良上野介も静かに暮らしたかっただろうな・・・。