【と】富山城址公園(とやまじょうしこうえん) ~富山弾丸旅行② | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

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吾輩の辞書には「不毛」という文字しかない!

特にテーマもなく、徒然なるままに書き綴ってます。

この土・日で、富山に行ってきました!

 

さて、その初日は・・・

松川の桜、チンドンコンクールのため街のあちらこちらで見かかるチンドン屋さんたち、そして富山城址公園といったところを見てきて、バシバシと写真を撮ってきたわけですけど・・・

写真を撮ったデジカメを紛失してしまいました。

 

松川の桜とチンドンコンクールについては、二日目に深掘りしに再訪しましたこともあり、初日と二日目のこととを一緒に記事にしますので・・・

まずここでは、富山城址公園のことを記事にしようと思います。

ちなみに、上の画像が富山城址公園ですが・・・

公園の近くに松川が流れていることもあり、二日目に松川に行った際についでに撮ったものです。

 

 

 

富山城址公園・・・

富山城跡を整備した公園です。

遺構としては、石垣や土塁と堀などが残っています。

 

富山城は、戦国時代に越中守護・畠山氏の守護代であった椎名氏と神保氏の両氏の争いの最中、神保氏サイドによって建てられたと言われています。

その後は、越後の上杉氏、一向一揆勢力、織田氏らによって争奪戦が繰り広げられ、織田家の武将・佐々成政の居城となっています。

信長の死後に、秀吉と対立した成政は後に降伏。

越中は前田氏に与えられ、前田利長が大修築し、隠居城としてます。

その後、加賀藩の支藩として富山藩の成立が認められ、前田利次が初代藩主となっていますが、富山藩の居城として使用されています。

明治の廃藩置県で廃城となっています。

ちなみに、滝廉太郎の「荒城の月」の着想のもとになった城の一つらしいです。

 

上の画像で天守閣みたいなのが見えますが、模擬天守であり、実際には博物館(富山市郷土博物館)です。

この模擬天守が立ってる場所も、実際には城門の石垣の上であり、天守閣と関係のない位置になります。

博物館は富山城の歴史が展示されてます。

 

遺構の石垣の一部です。

 

公園内には、佐藤記念美術館という美術館もあります。

小さめの美術館で、1階に展示室が2つ、2階に展示コーナーと移築された茶室があります。

この期間は屏風絵の企画展があり、なかなか見ごたえがありました。

 

こちらは、唯一の現存建築遺構である千歳御門です。

千歳御殿という屋敷が城の東出丸の東側にあったそうですが、その正門だったそうです。

いろいろな場所に移築され、現在の位置にあります。

 

 

う~ん・・・本当はいろいろ撮ったんだけどな・・・

このくらいしか書けないな・・・。