この土・日で、富山に行ってきました!
さて、その初日は・・・
松川の桜、チンドンコンクールのため街のあちらこちらで見かかるチンドン屋さんたち、そして富山城址公園といったところを見てきて、バシバシと写真を撮ってきたわけですけど・・・
写真を撮ったデジカメを紛失してしまいました。
松川の桜とチンドンコンクールについては、二日目に深掘りしに再訪しましたこともあり、初日と二日目のこととを一緒に記事にしますので・・・
まずここでは、富山城址公園のことを記事にしようと思います。
ちなみに、上の画像が富山城址公園ですが・・・
公園の近くに松川が流れていることもあり、二日目に松川に行った際についでに撮ったものです。
富山城址公園・・・
富山城跡を整備した公園です。
遺構としては、石垣や土塁と堀などが残っています。
富山城は、戦国時代に越中守護・畠山氏の守護代であった椎名氏と神保氏の両氏の争いの最中、神保氏サイドによって建てられたと言われています。
その後は、越後の上杉氏、一向一揆勢力、織田氏らによって争奪戦が繰り広げられ、織田家の武将・佐々成政の居城となっています。
信長の死後に、秀吉と対立した成政は後に降伏。
越中は前田氏に与えられ、前田利長が大修築し、隠居城としてます。
その後、加賀藩の支藩として富山藩の成立が認められ、前田利次が初代藩主となっていますが、富山藩の居城として使用されています。
明治の廃藩置県で廃城となっています。
ちなみに、滝廉太郎の「荒城の月」の着想のもとになった城の一つらしいです。
上の画像で天守閣みたいなのが見えますが、模擬天守であり、実際には博物館(富山市郷土博物館)です。
この模擬天守が立ってる場所も、実際には城門の石垣の上であり、天守閣と関係のない位置になります。
博物館は富山城の歴史が展示されてます。
遺構の石垣の一部です。
公園内には、佐藤記念美術館という美術館もあります。
小さめの美術館で、1階に展示室が2つ、2階に展示コーナーと移築された茶室があります。
この期間は屏風絵の企画展があり、なかなか見ごたえがありました。
こちらは、唯一の現存建築遺構である千歳御門です。
千歳御殿という屋敷が城の東出丸の東側にあったそうですが、その正門だったそうです。
いろいろな場所に移築され、現在の位置にあります。
う~ん・・・本当はいろいろ撮ったんだけどな・・・
このくらいしか書けないな・・・。