【あ】明日香村(あすかむら);~橿原・飛鳥の旅⑤ | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

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特にテーマもなく、徒然なるままに書き綴ってます。

2016年12月23日~25日の三連休で、橿原・飛鳥へと旅に行ってきました。

 

二日目は、レンタサイクルを活用し、午前中に橿原市内を回りまして、そこまでは記事に書きました。

午後からと明日香村を回ることにしまして、そちらをご紹介します。

 

明日香村は、こんな感じで回っていきました。

 

(橿原市)→雷丘→甘樫丘→水落遺跡→飛鳥坐神社→飛鳥寺→亀形石造物・酒船石→伝飛鳥板蓋宮跡→岡寺→石舞台古墳→橘寺→川原寺跡→亀石→天武・持統天皇陵→鬼の雪隠・鬼の俎→欽明天皇陵・吉備姫王墓→高松塚古墳→文武天皇陵→キトラ古墳→(飛鳥駅)

 

これら回ってきたところについては、回った順ではなく、テーマ別に数回に分けて紹介し行きます。

今回は、そのテーマから漏れてしまったところを紹介します。

 

 

雷丘

いろいろな経緯があって小子部栖軽という人物が、雄略天皇(第21代)に雷神を捕まえてくるように命じられ、ここに落ちていた雷神を捕まえて来たそうです。

ただ雄略天皇は雷神に恐れをなして、雷神を元の場所に戻すように命じたそうです。

推古天皇(第33代)の小墾田宮は、この近辺にあった可能性が高いそうです。

 

 

水落遺跡

水時計である漏刻の跡といわれているところです。

日本書紀には、斉明天皇(第37代)6年5月に中大兄皇子(天智天皇;第38代)が漏刻をつくり、時を知らせた記録がありますし・・・

天智天皇10年4月25日に、漏刻を新しい台の上に置いて、時刻を知らせたとの記録があります。

これらの跡地のようです。

 

 

飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)

創建の由緒は不明ですが、事代主神、高皇産霊神、飛鳥神奈備三日女神、大物主神の四柱を祀り、いろいろな古い記録に残っている古社だそうです。

子授けとして有名で、夫婦和合の奇祭である「おんだ祭」というものが行われるそうです。

 

 

岡寺

山の中腹にあるお寺です。

龍蓋寺とも呼ばれてるそうです。

草壁皇子(第40代の天武天皇の皇太子、帝位にはついてません)の宮殿の跡に、義淵僧正が創建したお寺です。

日本最大で最古の塑像観音像は見ものでした。

 

 

橘寺

聖徳太子生誕の地で、橘宮という欽明天皇(第29代)の別宮があったといわれてるそうです。

お寺自体は聖徳太子建立七大寺の一つといわれてるそうです。

 

 

川原寺跡

天智天皇が母の斉明天皇の川原宮跡をお寺に改めたのが始まりといわれてるそうです。

その敷地は大きく、天武朝から奈良時代に栄えたそうです。

川原寺の金堂跡には現在は弘福寺というお寺が建っています。

 

 

 

残りの観光スポットは、何回かに分けてご紹介します。