大磯のエリザベス・サンダース・ホームの「澤田美喜記念館」見学(撮影可) | おだわらぐらし

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大磯のエリザベス・サンダース・ホーム(社会福祉法人)の「澤田美喜記念館」を見学しました。

↑皆様ご存知かとは思いますが_、エリザベス・サンダース・ホームの創立者-澤田美喜さん(1901-1980 旧姓-岩崎)は三菱創業家のお嬢さん(三菱財閥の3代目総帥・男爵岩崎久弥の長女)で、この場所も元々は岩崎家の「大磯別邸(岩崎山)」でした。戦後の財閥解体で 岩崎家は大磯別邸を手放していますが、後に混血の孤児のための孤児院を建てるため 澤田美喜さんは寄付金を集めて「買戻し」をしています。その折りの「最初の寄付者」の名がエリザベス・サンダースさん、なんですね?)
敷地内には 学齢期に達した孤児達に教育を受けさせるために「聖ステパノ学園」というキリスト教主義の小中一貫校が建てられていますが、 ステパノは 終戦直前に戦死した美喜さんの三男-晃(アキラ)さんの洗礼名、との事。(現在の聖ステパノ学園の在校生は 約半数が養護施設から通う子供達ですが 公募もある、そうです。)

↓大磯駅南 の門。

その奥にブロンズのレリーフ。


↑これが創立者の澤田美喜さん。
↓横に「沢田美喜女史の生涯」というタイトルの文。(ブロンズのプレート2枚分)


↓左手を走る敷地の際の小径を上がります。

(↑フェンスの左はノジマ大磯スクエア。)
↓階段が急だから、かな? 途中休憩できるようベンチが置かれていました。

↓右手に鐘のついたゲイト。

(鐘には「平和の鐘」という名がついているそうです。)

↓ゲイトの手前に石灯籠が立っていました。


↑横から見た時には何とも思いませんでしたがー
↓正面から見るとそれは切支丹灯籠(キリシタンドウロウ)でした。


(↑この後記念館を見学して知りましたが澤田美喜さんは「隠れキリシタン」の遺物蒐集家でもあり、この灯籠も彼女のコレクションの一つ、との事でした。)
↓灯籠の立つ崖近くから見下ろした大磯駅前。ロータリーと料亭「松月」の入口が見えますね?


ゲイトに向き直ると その先に記念館が建っていました。

(↑時にこのゲイトは? なんだか古い建屋の一部の様に見えるのですが・・・。/ ググってみましたが情報を得る事はできませんでした_)

↓因みにこの「記念館」は二階が聖公会の礼拝堂なので「チャペル」という事もできましょうか。

(↑ノアの方舟(ハコブネ)をイメージしてデザインされている との事。そうと知ると船の舳先を見上げているような感じがしますね?)

記念館の一段下 になる所に煉瓦の柱があり それには「ジォセフィーンの家 19549■」と記された石が嵌っていました。(その側には柱の礎石らしい 窪みの刻まれた石や、「定礎」と彫られた石も_)

ジォセフィーン_は 澤田美紀さんが親交を結んでいたジョセフィン・ベイカー(1906-1975)の事のようです。(1954年にベイカーは来日し チャリティーショーの収益の一部をエリザベス・サンダース・ホームに寄付をし、更に ホームの男児二名を養子として引きとってくれてもいます。)/ ここにベイカーを偲ぶ建屋か何かがあったのかもしれませんね?

やや余談ながら 記念館への石段の両脇のフェンスは26本の十字架で これは1597年に長崎で殉教した「日本二十六聖人」を表している、そうです。

では記念館へ。



↑入口上の石には 真中に十字 そしてそれを囲むように「ELIZABETH SAWADA MIKI 1901 1980」の文字が陽刻されていました。(数字は美喜さんの生年-没年ですね?)
↓館内。

(以前訪ねた時は撮影不可でしたが 今回は「撮影OK」という事で ぱちぱち撮らせて頂いております。)


↓まずガイドさんから澤田美喜、という方についての説明を聞きました。

美喜さんの名前は 初代彌太郎さんの母-美和さんの「美」、彌太郎さんの妻-喜勢さんの「喜」_つまりひいおばあさんとおばあさんから一文字ずつもらって命名された~ そうです。(女の子を授かった事を皆が喜んだ事が伝わってきますね?)

↑華やかな振袖を来た三姉妹。(美喜さんと妹二人)/さぞや「蝶よ花よ」と育てられたのであろう~ と思われそうですが、実は家訓(←創業者の母 美和の教え)では意外にも「不忘貧(貧しかった頃の事を忘れない事)」と 質素倹約が奨励されており 美喜さんも日頃の服装は地味だった そうです。

岩崎家の家の宗教は真言宗でしたが、1922年に美喜さんが結婚したお相手澤田廉三さんはプロテスタントのクリスチャン。


美喜さんは結婚を機にキリスト教に改宗しています。(美喜さんは女学生時代からキリスト教に関心を持っていましたが、祖母に聖書を取り上げられる~ などしていたので、改宗は 彼女にとっては「望んでいた事~」であったらしい。)

外交官だった夫君についてアメリカに渡った美喜さんは 1936年、日本へ戻る船の中で隠れキリシタンについての本を読んで感銘を受け、以後 隠れキリシタンの遺物の蒐集をするようになった そうです。
_現在この記念館にあるコレクションは そうして生まれた~ んですね?

さて戦後_


有名な話だから ご存知の方も多いと思いますが_、
昭和21年、美喜さんが東海道線に乗っていたら 網棚の風呂敷包みが美喜さんの膝の上に落ちて来た。中身は新聞紙に包まれた黒い肌の嬰児の死体だった_。
ショックを受けながらも美喜さんはこれを天命と思い、かつての敵国人との間に生れた混血児のための孤児院-エリザベス・サンダース・ホームを立ち上げたんですね。


しかし_
孤児院をこの大磯に建てはしたものの・・・
当時の大磯にはまだまだ「かつての敵国」への偏見や差別が残っており、孤児達は敷地外にはあまり出なかった、といいます。
目の前に「日本最初の海水浴場」があるのに そこへ黒い肌の子供達を連れて行けず・・・ 美喜さんは孤児達を 夫君の出身地_鳥取県岩美町の海へ連れて行った~ そうです。(澤田家の別荘「鴎鳴荘」を利用したそうな。)
_と言った話を伺う内に 実は 隣の「大磯町 迎賓館」の見学会の予約の時間になってしまい、、、
申し訳なくも 一度 退出する事に_。

以下は午後 改めてお訪ねして拝見した展示品、です。

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では拝見して参りましょう。

↓「携帯十字架軸」

↓切支丹大名_大友宗麟の「持仏」と伝わる「ジゾースさま」。胸に大きな十字を持つ。


↑十字架の意匠の見える脇指の柄(ツカ)。縁には「フジワラノシゲオミ」と読めるローマ字が彫られています。
↓十字架の意匠が用いられた 螺鈿の小函。右は香炉かな?

↓マリア観音など 礼拝対象の像。







↓子を抱く観音~と見える置物。上物を外すと十字架が現れる。

↓経筒形の厨子の中がマリア像。

↓石のマリア地蔵。


(↑背面に十字。)

↓大坂の高槻地方(←隠れキリシタンが多かったエリア)で発見された 木版画の踏み絵。


↑_とその版木。
↓木製の物。

↓刀の鍔。(合わせ蓋型で中にキリスト像が_)

↓手鏡

↓手鏡入れ。

(↑これは底板の裏に十字が忍ばせているんですね?)
↓細川ガラシャ婦人の物と伝わるガラスの小瓶。(花入れかしら?)

_見応えありましたー!

ありがとうございました。


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が、是非一度現地をお訪ね下さいませ。