では仁王門へ向かうところから_。



↑奥に見えているのは本堂。
↓右の間の仁王様。

↑札には「うん」と書かれていましたが、
↓中の仁王様は口を開けておいででした。

_という訳で(?)
↓左の(あ)の札の掛かる間の仁王様は_


↑吽(ウン)のお口でした・・・。(逆じゃんね。/ 札、掛けかえてあげようかと思ったのだけど 針金で固定されていたので 動かせませんでしたー)
↓門を通り抜けた先の「裏」の間には_

↓天狗さん達。

↑大天狗、↓小天狗(烏天狗)。

「本堂」に向かいます。

↓この紋は「丸に三つ楓」 (天狗の葉団扇かと思った^^;)))

↓虹梁の上には龍。

↓扁額の文字は「飯綱大権現」。

↓入口 向かって右に「大天狗」、

↓左には「小天狗(烏天狗)」の大きな面が。

しかし・・・ あれー?


お寺の創建縁起 とか 由緒書 といった類のものがみあたりません・・・。/ どこかで見落としたのでしょうか_? (一応 この後行った「権現堂」には「建築物」の説明板があり そこに簡単な縁起は記されていたのですが_)
_という訳で お寺の公式HPをご覧下さい⇒*
(+Wikiの「高尾山薬王院」には 「開山本尊:薬師如来 / 中興本尊:飯縄権現」、とあります。 現在はどちらも、が祀られている、と考えてよいのでしょうかね? それとも現在は飯綱権現のみ?)
本堂の脇には、
↓鐘楼、


(↑袴腰前の講から奉納されたらしい額の彫り物、素晴らしい!)
↓愛染明王堂、


↓歓喜天堂。

(↑歓喜天像は公開されていないのでお堂は閉まっていました。が ご祈祷を希望すれば拝観できる、らしいです。)
↓大師堂(ダイシドウ)。



(↑扉の上の扁額の文字「南無遍照金剛」。 へー「大師」は入れないんですね・・・)
↓脇に説明板がありました。

↑「東京都指定有形文化財(建造物)
薬王院大師堂
建立年代についての確実な資料は欠いていますが、延宝五年(1677)薬師堂炎上の際に類焼し、その後、再建されたものと推定され、建物の様式技法から江戸時代中期は下らないと考えられます。特に、向拝;虹梁・木鼻及び海老梁などの絵模様彫刻技法は、建立年代を遡る古様式を具備しています。『新編武蔵風土記稿』によれば、当時は大日堂と称し、「薬師堂ニ向テアリ、三間四方南向ナリ」という位置にありました。その後、三回にわたる大改修を経て、現地に移されていますが、近世中期の社寺建築様式の傾向を知る上で、古様式を墨守する流派の存在を示すものであり、建築史上貴重なものとして東京都の有形文化財(建造物)に指定されました。桁行三間、梁間三間、向拝一間付きで背面に一間通りの内陣並びに中央間一間、両端間各一間の仏壇及び位牌壇を付設しています。屋根は宝形造(ホウギョウヅクリ)銅板葺です。
平成22年3月建設
東京都教育委員会 」
↓他にも様々な奉納物が並んでいました。



↑石に刻まれた飯綱権現のお姿。(不謹慎ながら_ちょっと『NARUTO』で九尾モードのナルトと 須佐能乎モードのサスケが共闘してるみたい?)
石段を上がり 本社-権現堂へ向かいます。



(↑本堂の東の石段。本当は西の石段が「表」だった模様・・・)
↓分かれ道。因みに どっちへ進んでも本社に出ます。


(↑勾配が緩やかな直進コースを選択^^;)
↓上がり切ったところから 奥の院~山頂 コースの道が始まっていました。

(↓ちょっとオマケで 今上がってきた道を見下ろしたところ_)

_では 本社-権現堂へ。

↓裏手からお参りしてしまいましたが、いきなり目の前に現れる華やかな神殿部(本殿)に驚かされました。

「これは これは ・・・」です。




見ても見ても 見飽きない、、、

↑けど これ 何の場面? そもこの男性は誰?(髪が長いからお坊様でなし 髪が黒いから仙人でもなさそう でも ふー っと息を吹きかけている先に 後ろ姿らしい一対の足・・・。/謎~)
↓表へ回ってみます。



↑梁の上に龍 その両脇に白狐。
↓おや上の破風の懸魚にも狐が・・・。

↓拝殿の奥も拝見。


↓扁額の文字は「飯綱大権現」 (奥の扉は閉じられていました。/御開帳の日 とかあるのかな?)


↑紅葉の縁どり、美しいー!
↓お賽銭箱。

↑神紋を挟んで「第一区/筒先中」の文字。

↑箱の横面には纏の意匠。(江戸の火消しさんが奉納されたものなのでしょう。)
↓順番アベゴベですが これが正面、です。(本堂前から 左(西)の石段を上がると ここに出た、んですねー)

社殿の左(西側)も拝見。



↑剣を踏んで水上に立つ御仁。(誰でしょう?)
↓拝殿と神殿を繋ぐ幣殿部分には火灯窓(←寺院建築に多いデザイン / 当然反対側も同じ造りでしたが 撮れてませんでした・・・)。

↓社殿横にあった説明板。

↑「東京都指定有形文化財(建造物)
薬王院飯綱(イヅナ)権現堂
寺の建立は、薬王院縁起によれば、天平十六年(744)行基が勅令を奉じて、本尊薬師如来を安置したのに始まるとありますが、後の永和年間(1375~79)に沙門俊源が飯綱の神を安置して中興し、これにより高尾山の信仰は世に広められたと伝えられています。権現堂の建立は棟札によると、本殿は享保十四年(1729)に建立され、宝暦三年(1753)に拝殿、幣殿が再建され、当時の本殿は独立していたものと推測されます。後の文化二年(1805)の修理の際に、本殿と幣殿屋根は連結されて権現造の形式になったと考えられます。拝殿は、木造、単層、屋根は入母屋造、銅板葺、三間四面の銅に廻り縁を付け、組物、彫刻などには彩色が施されています。これらの組物、彫刻などは江戸時代中期の社殿建築として優れた技術がうかがわれ、この頃の権現造として優秀なものです。
平成22年3月 建設
東京都教育委員会 」
権現堂の周りの小社も見ていきましょう。

↓これは「天狗社」。

御札の奉納~ な感じで「下駄」が並べられていました。

↓その隣には一対ずつの下駄もー。

↓鳥居の扁額に「飯綱大権現」と記された社。(本社のすぐ横に 支社?)

↓「福徳稲荷」。



↑ずらっと並んだ白狐!(白いユニフォームの鼓笛隊みたい^^)
分かれ道まで引き返し~、

奥の院を目指します。/ つづく