高尾山-4 有喜寺「山門(四天王門)」あたり | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

(つづき)

では高尾山医王院有喜寺(ユウキジ)の「山門(四天王門)」を潜るところから~。

↑右の石柱は角塔婆(カクトウバ)の形をしており 上から「空風火水地」を表す梵字が彫られていました。(1984年の 弘法大師千百五十年御遠忌 に山門を造立奉納した記念に立てられた物のようですね?)

とさて その横にこんな説明板がありました。/ てっきりお寺の縁起とか かと近づいたのですが・・・

↑「霊気満山 高尾山 
   ~人々の祈りが紡ぐ桑都物語~
八王子は、養蚕や織物が盛んだったことから「桑都(ソウト)」と称されました。甲州道中最大の宿場町となり、さまざまな文化を育みながら発展してきたまちの礎は、戦国時代末期に関東の覇権を握った北条氏の名将・北条氏照(←後北条氏三代目-氏康の三男)が、城下町を築いたことに遡ります。
桑都の発展を支えた養蚕農家や絹商人は、氏照が武運を祈願し、いにしえより人々が霊山として崇めてきた高尾山を信仰し、大切に護ってきました。
高尾山では、今も人々の祈りとともに、江戸時代に花開いた桑都の伝統文化が連綿と受け継がれています。」

_思いもよらず 八王子の発展に北条氏が大きく寄与していた~ という話でした。(小田原市民なのに 恥ずかしながら知りませんでしたー)
しかし・・・
お寺の縁起を記した由緒書の類は 周辺にはみあたりませんでした。(そして この後も見つけられませんでした^^;)))

↓ともあれ、改めて山門を拝見。

↓楼には山号が記された扁額が掲げられていました。(揮毫者は山主(住職)さん との事)

下の四つの間(マ)には四天王さん。



裏へ回って~


↓裏から見た門。


門を潜ったところに_


↓天狗の像。


↑右-大天狗、左-小天狗(烏天狗)。

↓その向かいに手水舎。

手を清めましょう。


↑水盤横に山伏の像。

↓その横に「厄除開運」の「願叶輪潜」。

↓輪を潜った後 その奥の錫杖の輪を鳴らすように、 と横の立て札に書かれていました。

(↑備え付けの棒で 錫杖の輪を揺らし鳴らす~ らしかった。)
↓これは十二神将(←薬師如来を守る天部の武神)の姿を描いたパネルをぐるりに巡らせたコラム。

↓十二神将は十二支ともリンクしているので、パネルには大将と一緒に担当する干支の動物も記されていました。


↓体に龍を巻き付けた金色の武将像_。

祀られているのは「八大龍王」との事ですが するとこのお像はその中の一柱、なのかしら?(わからず仕舞い)/ ですが お像の足元に ザルが置かれておりました。ザルにお金を入れて蓮の花の水盤から溢れる水で清める「銭洗い」をなさる参拝者もありました。


↓二体の龍が巻き付く剣が納められた小堂-倶利伽羅堂。これは?

梁掲げられた板には「結縁」と書かれています。_縁結びのご利益があるようです。


↓展望所にはこんな物も設置されていました。

↓「郷土の作詞家 井田誠一先生歌碑」ですって。

↑赤いボタンを ぽち っと押すと「若いお巡りさん」の歌が大音量で境内に流れ~ 慌てました! (♪ もっしもしベンチでささやくお二人さん~  およそお寺には似つかわしくない歌^^; でも懐かしかった。/はい、歌える世代、でございます

道なりに進むと、左手(谷側)に護摩受付所、

↓右手(山側)にお札授与所がありました。


↑お札は帰りに求める事にして~
↓先へ進みました。


_つづく