「海そば」でラーメンを食べた帰りは、「海水浴場発祥の地」の石碑を見るため 海岸べりを少し歩きました。

↑西湘バイパス桁橋が 海辺で遊ぶ人に良い影地を提供していますね。

↑道脇に停められた ボードを運ぶフック付きのバイク。(フック付きの自転車も湘南エリアではよく見ます。)
↓桁橋の橋脚には 色んなイラストが描かれています。

↑平塚方向、↓小田原方向。

↓桁橋下には 無料シャワーもありました。




↑んー シャワーの壁の絵、ちょっと色っぽ過ぎ?
西湘バイパスの影の向こうは 海!

(↓防波堤の向こうは漁港になります。)

そしてここが 日本で最初にできた「海水浴場」です。(もっとも当時の海水浴はビーチで泳ぐのではなく 潮を浴びる「健康法」だったそうで、中心になっていた場所も 漁港の西の岩場「照ヶ崎」だったと言いますが_)




↑東に江の島 その奥に三浦半島が うっすらと_。
港の方へ歩いてみます。
↓OISO CONNECT(港の交流施設)が見えてきた。



(↑中には 食堂やショップが入っています_)

↑1Fのメニュー、↓2Fのメニュー。

↓OISO CONNECTの向こう_

岸側に漁船を上げるランプ(斜面)があります。

防波堤にそっては 船が係留されていました。

↓港で働くフォークリフト。

(↑海水浴場から見えていた防波堤の内側、です。)
港湾管理事務所。


(↑「大磯港」と彫られた石が置かれていました。)
管理事務所前にコンテナボックスが置かれていました。


(↑「湘南定置(網)」(←大磯港沖合に設置された定置網)の略は「湘定」なんですね?/ 知ってると自慢できる???)
↓その先に 食事処、「めしや大磯港」さん。


モダンなOISO CONNECTとは趣を異にする レトロ系。

↑お店の前に置かれたブラックボード。(結構「高級路線」、ですねー)
↓奥に堤防の切れ目_というか 外海への出入口。

↓西防波堤の先端に白いミニ灯台。(尚大抵の港では反対側に対になる赤いミニ灯台がある~んですが 大磯港では見つけられませんでした・・・)


↑西防波堤の内側に砂利の山。(じゅん散歩では地元の人が「あの砂利が無くなったら大変」とじゅんちゃんに教えてあげてたっけ^^;)
(↓砂山の 麓でホイールローダーが働いてました)

↑で 実際のところ、この砂利 何に使うんですかね?
↓港の有料駐車場。(広ーい。)

↓駐車場の西を西湘バイパスの方へ進みます。


↑外からはわかりませんが、左のフェンスの内側は 「ポートハウスてるがさき」という屋外プールなんです。
↓地図で見ると こんな感じ。/ 上の写真の現在地は 陸橋(水色のスロープ)のたもと。

もしかして プールと海は繋がっているのかな? (小田原の海辺のプールのように)海で泳いでからプールへ~ とか できるのかしら?

↑あさて、私達が目指しているのは 上の地図で赤いポインターがさし示している「むすびだこ」の場所です。(なぜか地図では 本当の目的地「海水浴場 発祥の地」の石碑が表示されなくて・・・)
ポートハウスてるがさきの北を回ります。

↓見えてきました。きっとあのオベリスク形の石造物が「海水浴場 発祥の地」の石碑ね_、

↓あ、すみません「松本先生 謝恩碑」でした!(ここの松本先生は 大磯に日本で最初の海水浴場を開いた松本順の事ですね?)

↓「海水浴場発祥の地」の石碑は こちら でした。

↑「明治十八年 天与の自然に恵まれた大磯照ヶ崎海岸に 日本で最初の海水浴場を開いた軍医総監 松本順先生は 国民の健康増進と体力の向上をはかるため海水浴が良いと説き その頃の有名な歌舞伎役者を大勢連れて来て祷龍館(←旅館と病院を兼ねた施設)に泊まらせ 海水浴をさせて大磯町の名を日本中に広めました
昭和五十九年六月二十四日
親しまれて 百年
逢いに来て
大磯の 夏 」
大磯町の「大磯海水浴場」の頁⇒* には_
「松本順は、大磯の「虎子饅頭」を持って、東京の名士等に海水浴場を宣伝しました。」とあります。そうと聞けば(読めば) その「虎子饅頭」を食べてみたくなりますよね?
_という訳で この後は 虎子饅頭を買いに「新杵」に行ったのですが~ という話は 次の頁で_。
↓この 「むすびだこ」 についても書いておきませんと・・・。

パっと見「なんじゃいな」なのですが、、、。

↑グーグルマップにもしっかりと載っているところの 「蛸の足がハートの形に組まれたモニュメント」でございます。
↓そしてこれには こんな「ストーリー」が~。

↑「照ヶ崎海岸
昔、蛸之丞という漁師が海中から引き揚げたタコが、光輝く千手観音に姿を変え、千手観音を引き上げた海岸を「照ヶ崎」と呼ぶようになったと言われている。
また1996年に照ヶ崎海岸は「アオバト」が海水を飲みに来る珍しい集団飛来地として神奈川県の天然記念物に指定されている。」
↑へーっ 「蛸之丞 と タコ」~からの「光輝く千手観音」~からの「照ヶ崎」~ ですか・・・。(混乱^^;)
しかし アオバトは見てみたいなあ。(鳴き声は聞いた事あるのですが 見た事ないんですよね_)
↓モニュメントについて。

(↑「 ~結蛸(むすびだこ)~
Love&Bond(愛と絆)のmonument恋人や家族との「会い」、友人やペット等との「絆」
大磯港「みなとオアシス」エリアの賑わいを生む、濃いすすなぎさ灯台プロジェクトの一環として、東京藝術大学の学生と連携し、令和5年11月にモニュメントを設置しました。
〇 monumentの成り立ち・・・
・照ヶ崎海岸の名の由来となったタコの伝説に着想し、色は神社の鳥居を彷彿とさせる「朱」を意識
・伝説上、タコが姿を変えた千手観音像は、現在まで続く高来(タカク)神社の「御船祭」の由来
・土台の石は真鶴町で採掘した本も本小松石を学生自ら研磨
・日本初の海水浴場である「大磯海水浴場」の開設者である松本順先生の謝恩碑にも、改めて光が当たることを期待 ~」
!ブロ友「✨」さんからの情報でモニュメントの作者が(元アメブロブロガーで)現ライブドアblog公式ブロガー 月野まるさんの次男坊さんだとわかりました。2023年のブログ記事に 月野さんが次男さんの”結蛸(むすびたこ)モニュメント!”を訪ねる話も掲載されています。が それをここに張るには許可が必要かな~ と躊躇っておりましたら_
2024年のタウンニュースに 「大磯町
新モニュメント「結蛸(むすびたこ)」設置
藝大生と連携し制作」という記事が載っていました。ので こちらを紹介させて頂きましょう⇒*
近くにもう一つ石碑がありました。

↑「大磯八景の一
照ヶ崎帰帆
いさり火の 照ヶ崎までつづく見ゆ いかつり船や 今帰るらん 敬之 」
大磯八景 というのは こちら⇒* をご覧ください。(+/ググったところ_歌の作者 「敬之」は、「大磯小学校第二代校長 朝倉敬之」という方とわかりました。)
では 虎子饅頭を買いに 新杵へ行きましょう。
↓ポートハウス照ヶ崎横の陸橋のスロープを上がって 港方向を見たところ_。

↓ポートハウス照ヶ崎。

↓「大磯八景」と「海水浴場発祥の地」と「松本先生 謝恩碑」と「むすびだこ」。

陸橋を渡った後は 西湘バイパスの下を潜り、坂を上がって行きます_。

_つづく
<ちょっとおまけ>
西湘バイパスの下を潜ったところに、
↓「1号門扉」がありました。



これは 防潮堤に作られた 高潮時に閉じられる「横引きゲート」。

大磯町のハザードマップ⇒*
によると_
この「1号門扉」から東へ(1号を含めて)12の門扉が連なっています。
大磯は防潮堤で守られている町だったんですねー。
<もういっちょ>
これは大磯駅近くでみつけた「カラーバージョン」のマンホールの蓋。 (カモメ クロマツ そして サザンカがデザインされています。)

↑この色調、イイネ!