案内板を頼りに歩きます。

久野小前を通りー


畑の縁を回るとー

↓お堂のような建屋が現れました。


瓦や懸魚に北条の紋「三つ鱗」がついています。

ここが「廟」ですね。(裏)
↓表へ。

↓近くに立てられていた説明板。

↑「北条幻庵屋敷跡
幻庵は、伊勢早雲庵宗瑞(ソウズイ)(北条早雲)の末子として明応2年(1493)駿河の葛山の館(裾野市)に生れた。幼年時代に箱根権現の別当職を約束され、京都に出て三井寺で修学したり、学者や文化人について諸芸を学び、格調高い歌を詠む文化人であった。
天文10年(1541)に兄氏綱が逝去した後は、3代氏康、4代氏政の後見人として、この久野の館に住み、一族の長老的存在となり、その名は遠国まできこえていた。
幻庵は、北条氏が滅びる8ヵ月前(1589)、北条氏の盛衰とともに久野の館で97歳で亡くなったとされている。」
↓廟へ。





↑手前に「北条幻庵公御廟」と刻まれた石。
↓これは灯籠???

(↑火袋部分が失われてる?)
↓廟内には祠型の位牌入れがあり、その中に 位牌が二つ 並べて置かれていました。

(右の位牌には幻庵の法名「金龍院殿明岑哲公大居士」(岑の字を吟とする本もあるようです)が書かれていましたが 左のものは「・・・公大居士」の文字しか読めませんでした。が、もしかしたら どちらも幻庵さんの位牌かもしれませんね?(位牌分とか))
戻ります。

廟の南東に 池がありました。


館の「庭跡」なのでしょうか。


↑池の端の石には「幻庵池補修記念碑」と記されています。 (という訳で この池は「幻庵池」なんですね?)
↓池には 近くの小川(用水路?)から水が引かれているようでした。

↓水の中には ゆったり泳ぐ鯉が数匹見えました。

↓北条幻庵屋敷跡については Wikiに「久野屋敷」として一頁上がっています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E9%87%8E%E5%B1%8B%E6%95%B7
(↑ここによると_ かつての屋敷は空堀と土塁に囲まれていた、との事。)
2018年6月の「タウンニュース」⇒ 「北条幻庵屋敷跡 地元の熱意で後世へ 有志の会が保存活動」
(↑左下に 土塁跡が認められる箇所 建屋が存在した事を思わせる地名 を記した図が載っています。)
因みにこの場所は「総構(ソウガマエ)」の外で、秀吉の「小田原征伐(1590)」の時には 放棄 された、そうな。。。
池の北には 「おとぎの国のお城」のような 保育園が建っています。

園庭には、象の滑り台。

(↑昔見たママ、です。)
*参考までに、昔のブログ記事 ⇒「幻庵の屋敷跡へ行ってみました」
*もういっちょオマケで ⇒「松坂屋本店で 北条幻庵を買いました」
_と こんなのが 幻庵屋敷跡とその周辺、なのでした。/ おしまい
<+>
↓道路に面しては「久野保育園 入口」と書かれたプレート、「北条幻庵之舊(=旧)跡」と彫られた石柱が立っています。

おいでになる方は これを目当てにお訪ねになるとよいか と。