広小路の「渋取(シブトリ)」の説明板 | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

(内容的には 先日訪ねた「蓮上院土塁」の続きになります_)

「総構(ソウガマエ)」と呼ばれる 戦国時代の小田原城を囲んでいた土塁跡を訪ねたおり~
土塁は永の年月の内に失われても その脇を流れていた川_「渋取川」は残っているのがわかって 「へー」。 (←逆に言うと 渋取川をたどればかつての土塁の位置がわかる んですね?)


ブロ友さんから教わった 他サイト様の記事で、
広小路南交差点に 「渋取」について知らせる説明板が設置されている事を知り、そのポイントを訪ねてみました。

(↑中央右より の紫のポインターが「小田原城 総構 渋取(説明板)」。説明板の下の 緑色 に見えているのが今に残る渋取川。つまりその内側にかつては土塁があった、という事ですね? / 尚、左上の「栄町郵便局前」の文字あたりが 昔の 北からの城下への入口だった「井細田口」。渋取川は「井細田口から山王口(後に江戸口)」にかけての堀跡 なんですね。)

↓広小路南交差点に 東側から近づいております。

あ、あった この説明板だ。

以前「翁庵」でお蕎麦食べた時 どうしてコレに気づかなかったろう???)

↑読んでみます_
「小田原城総構 ~渋取~
 戦国大名・小田原北条氏が本拠地とした小田原城は東西約2.9km、南北約2.2km、周囲9kmの規模を誇る戦国時代最大級の城郭です。
 その一番外側の守りは「総構」と呼ばれています。総構の東縁部、「井細田(イサイダ)口」から「山王(サンノウ)口」にかけては、天然の湿地帯に堀を堀り、その内側に土塁を構築していたと考えられます。この地域は小字(コアザ)「渋取」と呼ばれ、この一帯は堀の跡地ではないかと考えられています。
 この説明板の裏にある渋取川は江戸時代に堀を埋めた水田の排水路と思われ、江戸時代の絵図。文久図から、堀でもあったことがわかります。渋取川より南西側は総構の内側と想定されます。現在見ることができる総構東縁部の名残は、蓮上院土塁と渋取川で確認できます。
 平成31年に渋取川にかかっていた「新逢橋(シンアイバシ)」は解体され、川は一部暗渠(アンキョ)となりました。「新逢橋」の銘板は、地域の歴史を物語る資料として小田原市郷土文化館に保管されています。」
(↑青い色は小字としての「渋取」だそうですが これは「かつての渋取川(湿地)」とほぼ重なっている、んでしょうか ね?)

↓説明板の向こう(南側)の川。(水はありませんでしたが_)

(↑奥に「暗渠」が見えています。あそこが元の「新逢橋」ですね? ↓川下側。)


↓ストリートビュー(2015年6月)に かつて渋取川に架かっていた「新遭橋」が写っていました。

↑国道255号線(国際通り)を挟んで ちら とですが欄干が見えます。
↓暗渠に隠された渋取川ですが_少し川上でL字に北へ折れ 「下田材木店」と「五区公民館」の間で再び開渠に。


尚 五区公民館の北の「井細田口」南脇は 古い地図に「水堀」として描かれています。 このあたりが「渋取」の川としての始まり、でしょうか。

どっこい生きている渋取、面白い^^)

↓2022年の「タウンニュース」の記事。
https://www.townnews.co.jp/0607/2022/04/16/621524.html
(↑地名「渋取」の由来についても書かれています。)



<+>
この日のお昼は~ すみません、翁庵さんではなく くら寿司で食べましたー^^;)

↑気兼ねなく昼飲みできる くるくる寿司、おじいさんは結構気に入っているようです^^;)
↓私も回転寿司 大好き。

↑カニカマ入りの「サラダ」や↓ 「(深海魚の)エンガワ」「エビ+アボカド+オニオン」とかって 回らないお寿司屋さんにはありませんモンねー?

↓鮮度も文句なし。

満足 満足^^)