「蓮上院(レンジョウイン)土塁」(総構の一部) | おだわらぐらし

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小田原の 今に残る総構(ソウガマエ)~の一部、「蓮上院土塁」を見に行ってみました。 (ブロ友さんに教わったばかりの場所ですが、なんと 亭主が「ついこの間の街歩きでワシら ここへ 行ったで? 写真は撮ってないけど・・・」と言うので、 ちゃんと 見 写真も撮ろう、 と。)


まずは 江戸時代の「江戸口見附(エドグチ ミツケ)」へ。


↑説明板_う・う・う 薄ーい。
が、なんとか読めます_。
「小田原北条氏は、天正18年(1590)の豊臣秀吉の小田原攻めに対し、総構(ソウガマエ)といわれる周囲約9kmの堀や土塁を構築し、城のみならず城下町までを取り込んだ戦国期最大級の城郭を築きました。
 この付近は、その総構の最も南部分に当たり、小田原合戦のときには徳川家康隊が山王川の対岸に陣取っていました。
 江戸時代には、小田原城下に入る東海道の東の出入口として、西の板橋口 及び甲州道の井細田口とあわせて、城下を警護する重要な門としての役割を担っていました。
 江戸方向から来た場合、上図のように紋の土塁を一旦右に曲がり さらに左に折れてから城下に入る形(←虎口)になっています。また、入るとすぐ右手(北側)には番所があり、通行人の監視などに当たっていました。
 なお、ここは江戸日本橋から20里(80km)に位置し、それを示す一里塚が海寄りに設けられていました。」

江戸口見附というのは江戸時代になってからの呼称で、それ以前は「山王口(サンノウグチ)」と呼ばれていたようです。少し東に建つ山王社からの命名でしょうか?
 右の写真の下には「大正時代初期の江戸口見附/両側に後北条時代の総構の土塁跡が確認できます」とあります。

江戸口見附跡から東を見たところ_。

↑20m程先にバス停「山王橋」が見えています。

特に何の道標もないポイントを 北へ上がります。(強いて言うなら 江戸口見附の東の道、バス停「山王橋」の西の道_)

↓少し行くと 川がありました。



↑今立つのは橋の上。
↓下を流れるのは「渋取(シブトリ)排水路」です。/この流れは少し先で 山王川に注ぎます。


排水路は この橋から西は暗渠になっていました。

ではここからは暗渠の上を歩いて 排水路をたどってみましょう。

ほどなく 正面に緑の堤が見えてきました。



なるほど、これが総構の名残、ですね?

(左手の駐車場は 一種図らずも土塁「断面図」を教えてくれる事になっていますね。)

(↑ストリートビューから)

それなりに形はキープできてますが、「防衛」には心もとない?

↑って、総構の外側は堀の役をする川だったようだから 今見るよりは攻めにくい「高さ」があったのでしょうね?(元はもっと高かったのかもしれないし・・・)
↓説明板が立っています。


↑読んでみましょうー と思ったけど これは厳しい_。(けど 頑張って読みましたよ?)

↑「蓮上院土塁
 この土塁は、天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原攻めに対し、小田原北条氏が築いた荘構の一部です。この土塁の東側は水堀が設けられ、その対岸には徳川家康軍が対峙していました。
 『北条五代記』では、この総構について「此白東西へ五十町(約5.45キロ)、南北へ七十町(約7.63キロ)、めぐり五里(約18キロ)の大城なり」と伝えています。実際には、延長9キロに及ぶカラボリと土塁が城下町全体を包みこむように築造されました。
 低地部に展開した総構の多くは、いつしか姿を消してしまい、この蓮上院土塁は早川口遺構(市内南部)とともに、その名残を止める数少ない遺跡で、昭和34年に国の史跡に指定されました。」

少し行くと、土塁が崩れている場所がありました。


↑で なんとこれは空襲の「痕跡」なのだそうです!
↓説明板。

↑「太平洋戦争の爆弾着弾跡
 太平洋戦争が終わりに近づくにつれ、日本各地でB29爆撃機などによる空襲が激しくなってきました。
 小田原市でも、昭和二〇年四月以降終戦まで、たびたび空襲を受けました。
 そして、戦争終結直前の八月十三日の午前八時三〇分ころ、小型機による空襲があり三〇名の犠牲者を出しました。このとき、新玉(アラタマ)小学校(当時新玉国民学校)も攻撃を受け、若い教員一名と用務員二名が犠牲になりました。
 この空襲で投下された爆弾のひとつが、ここ蓮上院土塁に着弾し、土塁が大きく損壊してしまいました。
 戦国時代に小田原北条氏が築いた土塁に、昭和時代の太平洋戦争の傷跡が残る大変貴重な場所です。
   小田原市教育委員会」

↑小型機(←Wiki⇒によると 艦載機との事)から投下された爆弾でさえこの大きさのクレーターを作るんですね・・・。

(↑振り返って見たところ_)
道なりに進みます。


(↑白く滑らかな樹皮を持つ大きな木。何の木でしょう?)

~ と、こんなのが「蓮上院土塁」、なのでした。
↓左側に 新玉小学校のプールが現れました。

↑さて 土塁はここで終わっていましたが、土塁横を流れていた「渋取排水路」の方は まだ先をたどる事ができそうでした。/ でも欲張らず 今回はココマデに。
(広小路南の交差点脇に「渋取川」についての説明板もあるというので いつかそっちへも行ってみたく思います。)

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この後は新玉小学校横を通って帰りました。



↑校門を入ってすぐの所に立つ 金次郎。
↓門の南側。

↑あー壁面に描かれた「五三の桐」の校章、 昔のまま⇒ だわ~^^)


もういっちょ。
オクツ薬局横を通ったらー

↓西壁面に色々な展示があるのに気づきました。

目を引く 黄金の頭像~。


・・・って、 話が「土塁」から離れ過ぎますので 頁を変えて改めて。/ つづく