(日光からの)帰り道_ | (又)おだわらぐらし はじめました

(又)おだわらぐらし はじめました

 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

田茂沢御用邸からはー
大谷川(ダイヤガワ)沿いに歩いてー

金谷ホテルまで戻り、荷物を受け取ってー

↓道脇の金谷のベーカリーでお土産にパンを買おうと思うも 売り切れ!


日光駅まで行って 駅の向かいのベーカリーに入るも・・・


何一つ残っていない、状態でした。。。(残念/こんな事なら 朝ホテルのショップでパン 買っておくのだったー)

駅前のロータリーの島に 

こんなスポットがありました。

「日光の 「おいしい」水です / 日光市」

↑飲みたい放題の水道水! (ふとっぱらのようで 今ひとつ観光客にアピれてないようなー^^;)

最後にせめて(?)
揚げゆばまんじゅうを食べようよ。

さかえやさんで「くださーい」。



↑かりしょわっ と美味しいお饅頭でした。

スペーシアに乗りましょう。





↓下今市駅。

下今市と鬼怒川温泉を結んで走るSL「大樹」です。

↓機関庫。



↑車内でビールを飲みながら 大樹のチラシを見る亭主^^)
SLは またいつか?

それにしても 今回 桜の頃の日光に来られた事、良かったなあ。(二日目の雨はいたかったけれど)


おしまい。



<メモ>
今回 日光では多くの事を知りました。
 私的に一番大きかったのは「東照宮は江戸の鬼門を守ってなどいない」という事。(一体どこで「鬼門」だなんて覚えてしまったのでしょう・・・)
・ 日光は江戸の(ほぼ)真北_星宮信仰の「北辰(天の中心≒北極星←古代にあっては北極星がまだ真北の位置になかったため、元々は別だったのだけど 15世紀頃より 北極星がほぼ真北に位置するようになり だんだん北辰と北極星は同じと考えられるようになっていったよう。因みに現在すでに北極星は北極から少しズレているというから 何百年かしたら又「北辰」の座から降りる事になるかも???)」なんですね? 
・ 北辰は 北斗七星とも同一視され、(あるいは混同された?)
・更に 北斗七星の化身-妙見菩薩とも同一視されるようになり、 (北斗七星の第七星は「破軍星(ハグンセイ)」と呼ばれる星で、ここから妙見菩薩は「軍神」とも考えられるように。)
・ 妙見菩薩は薬師如来の化身であるとされ、  
・ 東照大権現(=家康)の本地が薬師如来とされた。
・・・すると _ 東照大権現(=家康)≒ 北辰・妙見菩薩(軍神)・薬師如来 という事に?
ともあれ_
家康は自分を 江戸と北辰を結ぶ線の上の霊地 に神祀りさせていたんですね。 

 もう一つは松平容保(カタモリ)が 明治13年に東照宮の宮司 (上野東照宮祠官との兼務) になっていた事。
(明治の神仏分離令で 日光山の「法親王」が輪王寺の「住職」になったため 東照宮の神職のトップが不在になり、 これを容保さんが引き受けられたのです。 / 神仏分離令では「神道」の方が優遇されたので 住職か神職か という選択では神職を選ぶケースが多かったのに... やはり明治時代に徳川方を選ぶのは躊躇われる事だったのかしら)  
更にその前年(明治12年)容保は保晃会(←日光の有志が立ち上げた日光山内を保全するための団体) の初代会長にもなっています。/ 当時の日光は幕府からの庇護を失い経済的に非常に厳しい状態にあった~ と金谷ホテルの資料館などで読みました。(外国人を自宅に泊め宿屋業をしていた金谷善一郎は それを咎められ東照宮から破門されています。) _大変な時に 大変なお役を引き受けられたようですね。
 最後に「神君家康」に仕える事ができた事 容保さんには慰めになったのでしょうか。
↑ブログ本文中には挟めなかったので こんなところへ 備忘録としてー...


<だそく?>
帰りに東京駅でチューリップ・ローズというお菓子を買いました。
売店が東北新幹線と東海道新幹線の乗換ポイント近くにあるので 何度も見かけては「かわいいなあ」と思っていたお菓子_

贈り物にヨサゲ。でも可愛いだけで美味しくなかったら困ります。まずは 自分で食べてみなくては。

_という訳で 一箱購入。
帰って食べてみた。
おいしー! これは使えるー! 覚えておきましょう。(+そごう横浜店でも買えるようだし)