星の宮 磐裂(イワサク)神社 | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

さて、金谷ホテルを出て 最初に寄ったのは_ 

門の近くに立つ「星の宮 磐裂神社」という小さな神社。


(↑坂をいくらも下りない所にあります。)

↓道脇の案内板には「日光最古の社~」と書かれていました。

石段を上がるとー

↑丹塗りの祠がありました。
↓社号が記された扁額。


↑↓扉の前に由緒書。

↑「星の宮 磐裂神社
 御祭神 磐裂神
 御例祭 七月三日
 御神徳 諸願成就 厄除開運 事業繁栄
當社は僧勝道が磐裂神(明星天子) の御加護を得て日光開山を完遂し得た その神恩報謝から大同四年(809)創建したと伝えられ 日光最古の社である。
奈良・平安・鎌倉・室町の各時代には修験者の霊場の一つとして 又御神徳宏大なことから戦國武将の篤い尊崇を集めて榮えた。その後一時衰微したが東照宮の鎮座に伴い再び徳川幕府の篤い庇護を受けて社殿改修・諸祭典・神事(湯立)の復興等が行われると共に 所願全て成就するとの熱い信仰の基に遠近よりの参詣者で大いに賑った。
現在日光市東町(上中下鉢石町 御幸町 石屋町 松原町)の総鎮守 社殿は昭和五十五年に改築されたものである
  昭和五十八亥年七月三日
           宮司篠田謹書」
(なるほど 勝道が開山した日光山の内」で一番古い社、なんですね?/という事はここは日光山の飛び地 かしら?)

しかし 小さな社なのに 理解するにはまず「日光の歴史」や「星の宮信仰」等 多くの事を知らねばならなそうです。(磐裂神自体は イワサク・ネサク として記紀にも名の見える古い神ですが 「星宮信仰」の中では「歳星(木星)の精」をさすらしく 私の知識の全く及ばない世界の神様にー・・・)

社周辺の石像物群も 神奈川県では見た事がないタイプで 新鮮で面白かったです。


↑丸二つ 猿二匹。二つの丸は庚申塔の月+日?/ 猿の下に梵字が三文字彫られていますが 一番上はア(お釈迦様?)かしら?(大抵は青面金剛の種字とか ですけどねー) 文字列は 最初が「慶安三・・・」 最後に「■當成佛 小春如(←?)意」なので 多分1650年陰暦10月に 誰かの成仏を願って奉納されたのでしょう。
↓こちらも 丸二つ 猿二匹。

↓社の反対側にも。(「庚申」と刻まれたもの、上の丸が 明らかに月とわかる欠け方をしているものも。)

(こちらは青面金剛の文字が彫られています。しかしやっぱり(?)猿は二匹だ)



↓この方は?/不明ながら きっと尊い方なんでしょうね?


わからないことだらけのまま退出しましたがー


↑お参りできて 良かったです。

この後は 坂を下りー

(↑もはやお馴染みの? 板垣さん。)
↓日光橋を通ってー

↓大谷川(ダイヤガワ)を渡ってー






金谷ホテル歴史館や日光田母沢御用邸記念公園のある 本町エリアへ行きました。/ つづく