日本聖公会 日光真光(シンコウ)教会 | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

では大谷川(ダイヤガワ)を渡ったところから_

対岸(右岸側)に 日光金谷ホテルの宿泊棟が見えました。


そして道の先にはー



↑男体山が現れました。

↓分かれ道。

↑右へ向かえは二荒山神社、左へ向かえば田母沢御用邸、です。
↓看板の奥の松は「良い縁松」。二荒山神社への道標、との事。



右へ進むと_

↑日光奉行所跡。
↓その先に「日光カステラ 磐梯日光店」

(時に磐梯日光って? 磐梯と日光の間にどんな関係が...)

そしてその隣に_

方形のキープを持つイギリス風の建屋が建っていました。

教会風だけど(バラ窓がありますから 少なくともキリスト教の教会として建てられたもの とわかるものの) 十字架が見えません。(後で この角度から見えなかっただけとわかりましたが^^;)

ともかく 何だろう と思いながら生垣越しに眺めていたら・・・




↑「有形文化財 日光真光教会礼拝堂」と刻まれた柱。/ この時点でもまだ「どんな宗教の礼拝堂でしょう」と思っていた アタクシ。

が ここに案内板が。

↑あ「日本聖公会」の教会だったのね。(まひかり教会と読んでましたが^^;「NIKKO SHINKO KYOKAI」でした。)
↓説明板。

↑「明治・大正期において米国人建築設計家、宣教師、教育者として日本に大きな足跡を残したJ・M・ガーディナーの晩年の秀作で、大正3年に建築された礼拝堂である。
 構造は、石積スレート葺のゴシック式建築であり、外壁面は大谷川から採取した安山岩の乱石積で、内壁は鹿沼石の平張りである。
 東壁面上部のキリストの変容を描いた桜花形のステンドグラスと、西壁面上部の12面のステンドグラスが唯一の彩りで、簡素な中にも清楚な落ち着きをもつ洋風建築物である。
 ガーディナーの関与した建築物には、明治40年に建築された重要文化財の京都聖ヨハネ教会(現在は明治村に保存)が有名であるが、この礼拝堂は石造りの素朴な建築物として、ガーディナー建築の特色を示しています。」_ だそうです。

見学できるみたい。入ってみましょう。

(↓入口上の丸窓は四葉型(quatrefoil))

入口付近にあった献金箱に 二人分~。

(↑ここにも四葉が標されています)

靴を脱いで入室します。

(鉄骨の梁は 近年 補強のために入れられたもののようですね?)

↓あれは・・・聖水盤? 

洗礼盤かしら?

↓んー 洗礼盤の場合 このステンドグラスは鳩ね?


正面に十字架。

↑祭壇の真ん中に「IhS(イエス)」。その右はΩ(オメガ)、 ときたら左は(見えないけど)Α(アラファ)かな?
↓祭壇の上に 五葉形(cinquefoil)のステンドグラス。

↑「イエスの変容」ですね?

左手にあるのは説教壇? 朗読台かな?/ その前に足踏み式オルガン。 


右手には_
↓イエスと十字を組み合わせたデザインが記された旗が鷲の首に掛けられていました。(鷲の背中部分は多分 聖書台)

↑右上に見えるのは 讃美歌番号が記されたヒムボード(hymn board)。

(↑そういえば聖書台(lectern)にはよく鷲の意匠が使われますが なぜ鷲 なのだろう?⇒ どうも これ という説は無いみたいですね・・・)

ヒムボードの前には 電気オルガンが置かれていました。


後ろを振り向いたところ_。

↓12の小桝を持つステンドグラス。(窓、としては四連(quadrifora))

↑真ん中の段は 左から マタイ(人) マルコ(獅子) ルカ(雄牛)ヨハネ(鷲)ですね ?/ すると紋章は 他の十二使徒? 左上の「鍵」がペテロで~?

↓壁にこんな顕彰銘板が貼られていました。

↑「者労功業創園稚幼立建堂聖
   長会学英隣愛
 史女ンマ・ピ・イア
    念 記
     +
IRENE PORTER MANN
BORN NOV. 8TH 1861
DIED MAY 19TH 1927
SHE HATH (=has) BEEN THE SUCCOURER OF MANY 」
異国にあって周囲にクリスチャンとしての徳を示した_きっと「地の塩」のような方だったのでしょうね。
(↑余談ながら銘板_ +の上は右から +の下は左から読むんだ。/ こんなスタイルが戦前は「普通」だったんですね・・・)

ありがとうございました。



_外に出たら 「現実世界に戻ってきた」ような気持ちがいたしました。



_お参りできて 良かったです。/ おしまい。