
(↑右は東照宮のチケットブース)
東照宮へは三度程来ていますが 二荒山神社は初めてです。

(↑右が東照宮。奥が神社。)

↓水はけ口があった。

(色々ちゃんと考えて造られているんですねー)
社号標と楼門が見えてきました。

では伺いましょう。

楼門に掲げられた扁額には「正一位勲一等/日光大権現」と書かれています。

ここは 江戸時代に東照宮が建てられるよりもずっと古くから日光の三社権現を祀って来た神社なんですね。(奈良時代に 勝道(ショウドウ)上人が紫雲立寺(後に音の似る「四本龍寺」に。尚これが現在の「日光山輪王寺」に繋がる_)を建てた際 男体山山頂に男体山の神を祀る祠を建てたのがこの神社の始まり だそう。/ ←男体山山頂、に続いて麓に「中宮祠(チュウグウシ)」が、そして後に 里宮として現・本社 が建てられたといます。⇒*)
境内図。

青銅の鳥居。

(↑外国人の多くが 鳥居でちゃんとお辞儀してて こっちが慌てました^^; 日本人こそお手本を見せないといけませんのにー)
由緒書。

↑御由緒
御祭神 大己貴命(大國主命)、田心姫命(妻神)、味耜高彦根命(御子神) (←日光三山_男体山 女峯山 太郎山を人格神にあてている)
御神徳 國土の安泰、産業開発農耕狩猟を司どられて福の神と稱へ、婚姻温泉医薬醸造の祖神として遍ねく國土國民を守り幸はへ給ふ
御鎮座 太古から二荒山(男体山)始め八峯を二荒山の大神と崇めて奉祀し神護景雲年間社殿を造営し奉って以来千二百年余延喜式名神大社であります
御社殿(二十四棟 重要文化財)
本社 新宮と称し大己貴命を祀る
別宮 瀧尾神社 田心姫命を祀る
本宮神社 味耜高彦根命を祀る
中宮 二荒山の中腹幸湖(サチノウミ/中禅寺湖)湖畔に鎮座
奥宮 二荒山頂上に鎮座
摂末社 女峯山外六峯の頂上に鎮座
(中略)
関東總󠄂鎮守 下野國一之宮 日光二荒山神社本社」(+/ 下野国一宮は こちらだけでなく 宇都宮二荒山(フタアラヤマ)神社も、です。同じ漢字ながら 読み方も祭神も違う二つの神社 それがどちらも下野国一宮、というのは 面白いですね?)
鳥居を潜ります。


(↑社号が記された扁額の縁には 16枚の花びらをもつ菊の花が散りばめられていました。 紋ではなく 花の意匠として使われている んでしょうかね?)

まず手を清めましょう。


手水舎の先に神楽殿。


横に狛犬~ というより ライオン?




↓説明板。

なるほど「この狛犬は、飛鳥時代当初の獅子の形をインド黒大理石に彫ったもので、台座は日本三大銘石と言われる茨城県産の青糠目石です。左右の「良」「縁」の文字枠は八稜鏡を象ったものです。」_って。
正保二年(1645)年に建てられたという拝殿へ。


ご挨拶。

(中には 祭神-大己貴命の「福の神」然としたお像がありました)
_と この拝殿までは 自由にお参りできたんですねー。
この先は 拝観券を求めて~ 伺います。

門を過ぎ、拝殿の方を見たところ_。

拝殿裏手に高野槇(コウヤマキ)。

反対側に日枝(ヒエ)神社。


↓説明板。

↑848年に天台宗の第三代座主(ザス)によって創建されたと伝わる古社。祭神の御霊は日吉大社(←比叡山延暦寺の鎮守社)から分祀された~ そうです。(そういえば日吉大社の祭神も「大山咋神と大己貴神」でしたねー。)
奥へ進みます。

左に神輿舎(シンヨシャ)。


↓説明板。

↑「神輿舎
元和三年(1617)に東照宮の御仮殿として建築された建物。寛永の大造替(ダイゾウタイ)(1634年)以後の彩色等で装飾された建物とは異なり、白木の本建築は創建当時の東照宮を偲ばせる。向かって左から味耜高彦根命、大己貴命、田心姫命の乗る神輿(ミコシ)が安置されている。(後略)」 へ~っ
↓戸口のすぐ奥にあるのが きっと(真ん中に置かれているという)主神の神輿なんだろうなあ と思ったけれど・・・


↑瀧尾神社に祀られている田心姫命の乗り物「滝尾神輿」でした。
↓その左のお神輿前に「本宮」の札。

↓あれ?すると滝尾神輿の右にあるのは?

(子供神輿~ とかでしょうかね?)
高野槇の裏手へ行ってみます。


ここまで来てそうと知りましたが「伝-弘法大師御手植」で樹齢約千年~ という高野槇でした。


でここは 丁度 拝殿と本殿の間、になる場所~。


(↑札にも「神様に一番近い参拝所」と書かれています。)
↓説明板。

↑「(前略)
本殿 大己貴命、田心姫命、味耜高彦根命の三柱の神々が祀られている。この建物は元和五年(1619)に二代将軍秀忠によって寄進されたものである。
拝殿 拝殿は祭典や祈祷を行う場所であり、本殿とは渡殿(ワタドノ)とで一続きとなっている。本殿と比べて控えめな装飾が特徴的で、簡素ながら力強い建築である。ここにある武士象は祀られている神々を保護し、絵には神の使者である鹿が描かれています。」
??? 武士像ってどこにあったのかな?(全然気づけませんでしたよー/ もしかして 随身さんのような装束のお人形の事 かしら?) 鹿の絵、は御簾の向こうにうっすら見えました。バックが金だったと思います。
本殿を拝見。


なるほど、拝殿に比べ 美々しい 感じですね。
(↓三つ巴が一杯並んでいて ドット模様のよう。)


(↑唐破風の上。蒔絵保護のため 硝子板かアクリル板が使われているようですね?)
(↓西の破風にも保護版がついていたのかしら?)




本殿の西南には こんな「見所」がありました。



↓説明板。

↑「化け灯籠
鎌倉時代の正応五年(1292)、有力武士であった鹿沼勝綱が寄進したとされる青銅製の灯籠。江戸時代に夜間警護の侍が灯籠の明かりを亡霊の炎と見誤り、たびたび灯籠を日本刀で切りつけたとされ灯籠の各所に刻み込まれた70数箇所の小さな刀傷はそのときのものである。」 (もー お侍さん達ったら 怖がりさん^^;)))
向いのお堂を覗いてみます。

あら、「大国殿」ですかー。
↓説明板。

↑「大国殿
延享二年(1745)創建。日光二荒山神社では「招き大国」として知られる福の神として広く信仰されている大黒が祀られており、大黒天の様々な図像が安置されている。
もともとは仏教の神であり七福神として知られる大黒天と、農業・商業・医療の神である大国主命(大己貴命)を同一のものとして祀る神仏習合の姿を留めている。
入口右側の石像は、垂仁天皇に不老不死の力をもつ橘を日本に持ち帰るよう命じられたとされる田道間守(タジマモリ)である。右手に橘の木を持ち、菓子の神としても信仰されている。」
↓ほう、この方が田道間守。(昔の唱歌にありましたよね)/ という訳で(?)手にしているのは橘の小枝と思われます。

↓像の横の説明板。

(↑お菓子の神様 大国田道間守の御神徳は「家系安泰と心の安らぎ」ですって。おもわず ほっこり^^)
↓田道間守の石像の前に 供養塔の頭部? のような石。しかし近寄って見るとこれは「丸石」という願掛けの石でした。江戸時代に奉納された物だそう。

(↑この丸石は小さいけれど 神社の境内図にもしっかりと描き込まれていました。(円石、となってましたが)/大切にされてきた石なのでしょう。)
↓堂内。



↑思いのほかに華やかなお堂でした。
丸石の北には「朋友(ミトモ)神社」という小社がありました。



↓説明板。

↑「朋友神社
智慧(チエ)と医薬の神・少彦名命を祀る神社。奈良時代の日本最古の歴史書『古事記』において、少彦名命は二荒山神社の主祭神・大己貴命の日本統治を助けた神であると記述されている。
社の性格な創建時期は不明であるが、手水鉢石に「宝暦三」(1753)と年号が刻まれており、少なくとも250年程度の歴史を持つ建築であると考えられる。」
へー、少彦名が祀られているんですかー。(確かに 大己貴(≒大国主)とは一緒に祀られる事の多い神様。こちらに大己貴が祀られているなら~ と後から「朋友」として迎えられたのかもしれませんね^^)
その隣には~



↑銭洗所 なるスポットが~。
↓その横の赤い鳥居の向こうは~


「二荒霊泉(フタラレイセン)」という泉、でした。
↓説明板。

↑「二荒霊泉
この泉には、二荒山神社周辺で湧出する、二つの聖なる泉の水が引き込まれている。一つは本殿の背後にある恒霊山(コウレイサン)から湧き出る「薬師の霊水」で、眼疾に効果があると言われている。もう一つは「酒の泉」で、当地の西約1kmの場所にたつ滝尾(タキノオ)神社のほとりから湧き出ている。「酒の泉」の水で造った日本酒は非常に味がよくなると言われ、毎年春と秋になると、全国の酒造業者がここに来て水を少しだけ汲み、仕込みの種水として利用する。本社の入口付近に設置された酒樽は、そういった酒造業者が奉納したものである。また、二荒霊泉の水は”若返りの泉”とも知られており、健康や若返りを願う参拝者がここで水を汲み飲んでいる。」
↓ほぅ~ これが 二つの有難い泉の水が引き込まれている泉 ですか。


(↑美容にご利益があるのかしら?それともパワースポット? 若いお嬢さん達がここで持ち帰り用のボトルに水を汲みながら盛り上がってました~)

と そんな泉の周りは「ミツマタの花畑」のようになっていました。(ミツマタって斜面地を好むんでしたっけ?)
境内地の奥には「日光連山遥拝所」がありました。


おサライ的に~ この神社の始まりは男体山頂上に勝道上人が建てられた祠。御神体は男体山です。
↓ですので 男体山頂上の岩場を象ったらしい場所が作られている事には「なるほど」と思えたのですがー

↑よく見るとそこに 大きな刀がささっている!/そばの説明板には「良い縁の剣」と書かれているし~ 「???」だったのですがー
え? 実際の男体山山頂にも鉄の剣が立てられているんですって?(ネットにによると~ 明治13年に奉納された鉄拳があった~。がこれが2012年3月に腐食により折れているのが見つかる~。が10月には寄進者が現れ ステンレス製の剣が奉納され 同じポイントに設置された~。のだとか。/恥ずかしながら全く知りませんでした。)
_とこんな感じで 最後まであれこれ 驚くような事てんこ盛りのお参り処でございました。
戻って参りましょう。


退出時は 拝殿前から南へ抜けました。(家光の廟所へ行く 近道になります。)

↑境内からの出口の丹塗りの門の両側に 注連縄の巻かれた杉がありました。左が 夫婦杉、右は 親子杉、だそう。

坂の途中にも 縁起の良い(?)木がありました。



↑「縁結びのご神木」との事。 杉に楢が「ヤドリギ」として生えてるんですって。で「杉楢一緒に(すぎならいっしょに 好きなら...)」←方言でしょうか^^;)))
_ とこんなのが二荒山神社、なのでした。


おしまい。
<あ、もうイッチョ>

↑鳥居横に「むすび大国」様がおいででした。右の俵に乗っているのは・・・ 兎でしょうね?