日光東照宮 | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

(一休みしたところで(?)日光~の続きに 話を戻します_)


「日光街道を歩く会」は宮号標のところでめでたく解散しましたが、
私達(numabe+亭主)は その後も東照宮を拝観しております。(他の皆さんは「もう何度も来てるから」とお帰りになりました^^;)

という訳でここからは 二人の日光東照宮拝観~ の絵を貼っていきます。

↓鳥居の扁額は「東照大権現」。(今さら打つ内容でもありませんが こちらは家康(1543-1616)を権現様として祀る場所、です。家康の遺言により 家康の死の翌年(1617)、駿河国久能山の東照宮を遷す形で造営されています。)


鳥居を潜ると、左手に五重塔。



_撮れておりませんが、反対側には「鐘舎」もありました。
(静岡の東照宮では 明治に入って寺院関係の建屋は破却され 五重塔も鐘楼も無くなっていましたがー ここには残っている!/どうなんでしょう? 隣のお寺のもの とかにして難を逃れた~ のかしら?)

境内図。


拝観券を求めます。


では行ってみましょう。


石段を上り「表門」を潜ります。(仁王さんが守っているので ここも「お寺」が管理しているのかもしれませんね?)


(門で拝観券のチェックをしていました。)

左の仁王さん。


と狛犬。

(↓帰りに撮った 右の仁王さん。)

と狛犬。

山内側から。





門の正面には「中神庫」と呼ばれる建屋。


(↑右手の「下神庫」は修復中で覆いが掛けられていました。)
↓中神庫の左手には「上神庫」。




↑破風部分に象。

神庫の向かいに建つのは「神厩舎(シンキュウシャ)」。


(↑左側が神馬のための厩舎で 右は馬を扱う役人のための詰所で 畳敷きだそうです。)
↓ここの長押上の小壁にいるのが猿達。(8枚に 計16匹の猿が彫られています。)



猿~に被せて「人の生涯」が表現されている といいます。
↓一番有名なのは(左から二枚目の) この子 たち「三ざる」ですよね。

↓解説。

↓説明板。

↑へー 初代の神馬は「家康公の関ケ原の戦い時の乗馬「立黒)(タチグロ)」で、その後は代々将軍家より奉納された。」んですかー。/ 尚 この説明板には見えませんが厩に猿、というのは古くから「猿が馬を守る」(←厩猿信仰)と信じられてきた事による~ そうです。(何でも 猿回しも その起源は厩祈祷からきているようで へー。)

上神庫の角を曲がるとー

陽明門が現れます。

鳥居手前に手水舎。

説明板。




鍋島勝茂(←「鍋島の化け猫騒動」のお殿様!)よりの奉納、とか。/ 豪奢な水屋、使わせて頂きたかったなー。。。

その向こうに輪蔵。(輪蔵というからには 中に回転式の 御経を納める書架があるのでしょうね?/ここもお寺の管轄~ かな?)



向いは 上神庫の西側。



↑ここには 色々なタイプの灯籠が寄進されていました。
↓中でも有名なのがこちら_ 伊達政宗が奉納したという鉄の燈籠。



↑説明板によるとポルトガルから輸入した鉄材で鋳造したもの、だそう。(ですが ここは「外様大名から」寄進された燈籠が並ぶエリア...。譜代大名からの燈籠は石段の上に並べられているそうです。 尚 陽明門の内には「東福門院(←入内した秀忠の娘)寄進の一基のみ」だそう。/ しかし そうか こんな所にも 一種アカラサマな区別があった んですね?

さてではいよいよ 陽明門(別名 ひぐらしの門)へ。

(↑余談ながら、日光東照宮はペット同伴OK 大型犬も連れて入れるそうです しかも無料。ただし 宝物館内などは不可。)




(↑何匹もの龍の頭が並ぶその上に 向き合う麒麟~。細かく見ていたら 陽が暮れる~)

_と、 門へ上がる前にも見るべき物が。

オランダから奉納されたブロンズの燈籠です。(後ろに見えるのは「鼓楼」。)




↓説明板。

(見所は 葵の紋が逆になっているところ?/ 以前ガイド付きで見学した時のガイドさんは「オランダ側のミス」って言ってましたが 説明板にはそうは書かれていません。完成度を下げるための あえての「逆さ葵」と理解してよい という事かな?)

こちらは鐘。(奥に見えるのも「鐘楼」。)



鐘楼。




廻廊外壁も素晴らしい。





では陽明門を潜ります。





門を守るのは随神さんと_

狛犬。


門の向こうには「唐門」。/この向こうに拝殿と神殿があります。




左手に神輿舎。



↑中に納められているのは三基のお神輿。中央が家康右が秀吉、左は源頼朝のもの、だそう。
↓天井には飛天の絵。(仏教系ですね?)

春秋のお祭ではこの三基が御旅所まで渡御する、といいます。/ 御神輿がある という事は 神君家康だけでなく 秀吉 頼朝も「神様」という事ですよね。 ちょっと「?」と思いググってみたら 秀吉 頼朝を日光に神祀(カムマツリ)するようになったのは明治以降の事、だそう。(正確には明治6年に 秀吉+頼朝を「相殿の神として配祀」しています。/ 尚 それ以前は 左右に山王神 と 摩多羅神(←諸説ある神ですが 東照宮建立に深く関わった天海は「大日のこと」と考えていた といいます) が祀られていたそうです。// 山王権現 や 仏教系の神様が 明治政府の考える「神社」からふさわしくないとされたのは まぁわかりますが その替わりとして 秀吉と頼朝が選ばれたのには どんな経緯があったのかしらー? 又 渡御の折の神輿の順番とか 知りたく思いましたが ちょっとネットでは見つけられませんでした・・・。_亭主は「ほら 年の順やろ」と言っておりますが)

(社殿の)右手には神楽殿。




透かし彫りの塀の前に立つ一本の銅の燈籠。


↓説明板。

↑ああ、これが東福門院(秀忠の娘・和子)が奉納した燈籠ですね?

↓祈祷殿。




拝殿内は土足禁止、撮影も禁止でした。




奥宮へ向かいましょう。


ここにいるのが眠り猫です。



↓説明板。


その先_坂下門 を潜ります。


↓説明板。


ここからはちょっと石段が続きます。/ 長くなりましたし 一度ここで切りましょう。

つづく