日光街道を歩く-最終回(むつみ庵~東照宮) | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

では むつみ庵でお蕎麦を頂くところから~

(↑暖簾が出ましたー)

↑あれこれ載った「おすすめせっと」が人気+お店の推し。(舞茸ご飯は 山椒ご飯にもチェンジ可)
↓という訳で7/12人が「おすすめ」を注文。



↑「天ざる」は後回しだった。上は一人だけ「おすすめセット」を食べてるIさんをうらやましそうに見つめている残り三人の「天ざる注文者」の図_。 頬杖をつきながらNさんが「Iさん 蕎麦湯来たよ入れてあげようか」などと言ってます_。 (しかし そう、グループで来た客がバラバラで注文した場合は 量が多いコースを先に出す方がいいです。食べ終わりが揃いますからね。)
あーおいしかった。

御馳走様。

では続きをー。
少し戻って 
宝殿 交差点から旧街道を進みます。

川面を覆うように咲く桜。

東武日光線の電車が走って行きます。

↓国道と旧街道の分かれ道。

↓おや これは?


↑「男體山禪頂塔 七月七日」と彫られています。(右の文字列はちょっと読めませんでした 最後が己酉(ツチノトトリ)なので奉納した年が記されているのだと思いますが_)
調べてみるとこれはー 昔日光修験道で七夕に行なわれていた「男体禅定(ナンタイゼンジョウ)」という登拝行事(登山)で、この石を奉納した方は 多分それにありがたくも参加できた、んでしょうね?

先へ行きましょう。

ありゃ、杉並木 終わっちゃった。

いや 道を渡ったところから又続いていた。

↓だめだ ここは渡れない・・・ 引き返さなきゃ。

 - - - シーン抜け - - -




道脇に石が並んでいました。

これは「勝善(ショウゼン)神」(≒馬頭観音の神道系)_ 右は何て彫られてるのかなー?(最後は「神」のようですね?)



↑東和田交差点脇。
↓一度途切れた杉並木ですが 1ブロックで又復活しました。


その先の十字路を右に曲がるとー

JR日光駅です。

そして そのすぐ隣が東武日光駅。


お急ぎの皆さんとは ここでお別れです。
「お気をつけて」
「又の機会に」
「次は奥州街道を歩きましょうねー」

(余談ながら 半数の人が選んだ「今市~日光間を歩く」、は お手軽な割に 日光街道の雰囲気はちゃんと味わえ なかなか良いコースじゃないかな?と思いましたねー。)

 - - - - -

続を東照宮まで歩くのは6人になりました。

さて 話はちょっとそれますが_
街灯のデザイン、凝ってますよね?

↑双頭の龍、龍の爪 に支えられる玉には「町名」を表す一字が記されているそうです。因みにここは「松原町」、だそう。/ ちょっと「字」に気を付けて見ていこうかな?

駅から東照宮までの道には 色んなお店が並んでいました。
↓酒屋。


↓古美術店。

↓団子屋。



↑食べ歩きにはいいですよね、お団子。
↓でもお土産、ならやっぱり羊羹屋かな?



↓あら ここは? と思ったら「日光消防署」でした。


↓なんだか ちょっと「箱根の富士屋ホテルに似てる?」建物がありました。


↓説明板。

↑えーっ「旧日光市庁舎 (そして「前・大名ホテル」)」でしたか!

更に行きます。


立派な土産物店がありました。

「日光物産商会」

↓店の前に駕籠型の電話ボックス。

(元はロープウェーのゴンドラだったみたいですね?)

↓1Fには金谷ホテルのベーカリーショップも入っていました。



このベーカリーショップ脇の坂を上がると金谷ホテル。


坂を挟んでベーカリーショップの向かい、に立つ銅像を見ます。


板垣退助、です。
↓説明板。

↑「板垣退助銅像
 板垣退助は、「板垣死すとも自由は死せず」の名言で知られる明治の政治家です。
 明治の初期に自由民権運動を展開し、自由党を編成。土佐(高知)出身。
 明治元年(1868)戊辰戦争の時、彼は新政府軍の将として、日光廟に立てこもった大鳥啓介らの旧幕府軍を説得し、社寺を兵火から守ったと云われます。
 その遺徳を讃え昭和四年に建設されたが最初の像は第二次大戦中に軍需に徴収された、昭和四二ねんに再建。
 彫刻家、新開国臣の作。」だそう。
日光の二社一寺を守った板垣さん、エライ!
(_と思ったのだけど 後でWikiの「今市の戦い」を読んだら 大鳥を説得したのは板垣じゃなかったかも~ とか載っていて混乱~^^;)

華厳の滝から流れ下った清い水が流れる大谷川(ダイヤガワ)の手前まで来ました。

ここに架かるのが「二荒山神橋(フタラサンシンキョウ)」
渡るのは有料。


↑大人300円だそうです。(尚、渡った先の道へは出られませんので 引き返すしかない 橋です。)
↓見たところ 渡っておられるのは 外国からの旅行者ばかり って感じでしたね。

(↑「ありがとう!」と言いたかった。)
(↓私達は 眺めるだけ、に。)


↑美しい水、美しい橋。本当は「旧日光街道」はあの橋を渡っている、んですけどねー。
↓ついでに 元々はあちらが「日光橋」。/今は国道119号線の橋が「日光橋」と呼ばれています。

(向こう側の道へ渡らせてくれるのなら お金はらう価値あるかもなんですが~ 実は橋を渡った先には歩道が無く 車の行き来は多く、結構危ない箇所でして 「不通」にして正解、なんですよ・・・)

さて (新しい方の)「日光橋」を通って大谷川を渡れば~

(↑国道119号線の日光橋を渡った先(北詰)から神橋渡橋受付の方を振り返っています。)
↓東照宮はもう すぐ 目の前。

~と思いましたが 実は結構遠かった?

改めて元気出して いきまっしょい。


淡々と絵を貼ります^^;)


(後で気づきましたが、この石段部分は「旧-日光街道」ではありませんでした・・・。/日光街道は丹塗りの神橋を渡った先からつづく坂道の方、ですねー。/あ、帰りは そちらを歩きましたよ?)

↓御旅所横を通ってます。



あら? お坊様が通られる_。

そうでした「二社一寺」日光。/ ここはその中の「日光山輪王寺」なんですね。




(↑金堂)

こちらが開山者 勝道(ショウドウ)上人様。(日光山山頂に三社権現の社を建てられたのもこの方。)



もちろん輪王寺も拝見すべき場所なのではありますがー
えー今回は境内地を通り抜けさせて頂き、日光街道終点 を目指します。



とうとう到着です。


やー よく歩きました。(私達は幸手から、ですけどね^^;)みんな笑顔です!

(↑ちょっと余談ながら宮号標の揮毫者は渋沢栄一ですって。)

キリも良いので、一旦ここで おしまい にいたします。


<おまけ>
宮号標の手前に こんな物が_。

「ここは標高634m / 東京スカイツリーと同じ高さです。」ですって。 やースカイツリーに上ったら「日光東照宮と同じ高さ」って思い出さなきゃ? (あ 電波塔の高さを引く必要がありましたね。/ 展望台の高さは_450mですって。(通って来た道でこの標高というと~ 国土地理院の地図でみたところ 下今市駅(390m)と日光駅(537m)の間、竜蔵寺薬師堂あたり、みたいですね。 あー あの辺かあ、と思うも もう一方で「で?」^^;)