日光街道を歩く(今市~手打ちそば「むつみ庵」) | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

三日目の朝_
日光へ向けて 出発します。
空が青いのが「ありがたい!」。
(参加人数は 昨夜の「打ち上げ」時より少し少なくなっております。(仕事で東京へ戻らなくてはならなかった方があって... / お疲れ様です。))

(↑正面に見えるのは女峰山。日光二荒山神社の御神体とされる男体山はもう少し左の方、です。)

しばらくは国道119号線脇を歩きます。(旧街道と国道が重なっている為)

ここが分かれ道。(左が国道、右が旧日光街道です。)


国道の左側に建つ今市瀧尾(タキノオ)神社に ちょっとだけ ご挨拶。



↑今市の総鎮守社だそうです。(こちらは日光の二荒山神社の別宮-瀧尾神社の里宮。御祭神は二荒山神社と同じく 大己貴命、田心姫命、味耜高彦根命の三柱 との事。(+/ 二荒山神社の別宮-瀧尾神社の祭神は田心姫命))

では杉並木の中を走る旧街道へ。

(↑街道が整備された江戸時代には5万本が植えられたという「杉並木街道」。樹木自体の寿命もありますが 杉は年々減少しており今は1万2千2百本程になっているそうです。)


道脇を澄んだ水が流れています。



(↑結構な水量。)

所々に水門や分水器が設けられています。






街道脇に高龗(タカオカミ)神社がありました。

高龗は京都の貴船神社の御祭神。豊かに水が流れるこの場所にふさわしい~ と思いましたが、調べてみるとこちらは大山祇命を祀る社との事。(はて?)

少し行くと 水車がありました。


↑近くにあったMAPによると 周辺にはいくつもの水車が設置されているようでした。(ちなみに かつてこのエリアの水車のほとんどは「杉線香」を作るために回されていた そうです。へー)

又行くとー

大きな屋根を持つ 立派な建屋がありました。

「旧-江連(エヅレ)家住宅」_ですって。


(↑手前に「こんなこ」がいたのだけど 説明板のようなものの類はなく...「何て名前かな?」でした。)
↓戸口前にパネル。


↑天保元年(1830)に建てられた名主さんのお宅ですって。(元は小倉(JR文挟駅があるあたり)にあったものですが1993年に日光市が譲り受け ここに移築保存した~ のだそう。
↓間取り。

↑土間の外壁側に馬屋が二角作られていますね。そして 馬屋から一番遠い場所が床の間のある「奥座敷」、なんだー。なるほどー。

時に、隣に「報徳庵」というお蕎麦屋さんがありましたがー

まだお昼には早い。

先へ参りましょう。


再び杉木立の中を歩きます。


「見所」へ来ました。

「砲弾打込杉」ですって。

↑「附近は明治戊辰の役に官軍が日光に拠る幕府軍を攻撃した際、前哨戦を行った所である。この杉の幹の凹んでいるところは砲弾が当たって破裂したあとである。」

↑んー 凹んでるところ ってあの スリット が入ったみたくなってるところでしょうか?(しかし こんな木立の中で砲弾_つまり大砲を撃ったんですかね?)

又行きます。



↓あら、あの花は?

↑さくらかと近寄ってみたらツツジでした。(こんなに大きくなる種類もあるんですねー)

東屋が建っています。

お堂もあります_。

お堂の後ろには 桜がふぁさり と傘をさしかけるように咲いていました。

これは_地図によると「竜蔵寺薬師堂」だそう。(「竜蔵寺跡」とも載るので お寺は無くなって境内地に薬師堂だけが残った~ のかな?)

お堂のそばには石仏達。(半跏思惟像タイプや僧侶タイプの庚申さんや道祖神さんも混ざっているかも)



説明板はありませんが これだけの石仏が元々竜蔵寺というお寺の境内ににこうして並べられていたとは考えにくいので 箱根と同じく「権現信仰が否定されお寺やお堂が無くなって 或いは神社にあった仏教系石造物が 神社境内に置けなくなって~ 放置された石仏が次第に集められた~」とか かなあ?
ともあれこれらの仏様達が、できるだけ長くここで憩うことができますように。

ああ それにしても 立派なしだれです。


(見上げるとやっぱり 傘のよう。)

あ、もう一つ_

↑ここには見るべき物があるのです。「石の釣り鐘」です。/どういう謂れがあるのか はっきりしないといいます。(資金不足で銅の鐘が奉納できないので替わりに石の鐘を奉納した、吊るす部分が壊れたので放置されている、銅の鐘を叩く事がないようにという火伏の祈りが込められている~などなど)

_先へ行きましょう。



(↑小さな川を渡っているのですね。)
(↓本当に水の豊かな所です。)


並木道が国道119号線と合流~。

(↑日光側から振り返ったところ。/合流地点 というか こちらから見ると「分岐点」、には「日光杉並木街道」の説明板が立てられています。)

119号線では 歩道が 右についたり 左についたり 無くなったり、で 我々は あっちへ渡ったり こっちへ渡ったりいたしましたー。(もっと安心して歩けるよう 歩行者用の道を整備して頂きたいなあー)


が有難い事に 桜があちこちに咲いていて「目」的には 楽しく歩けました。

(↑JR日光線の線路のそばの桜)
(↓こっちは東武日光線側の桜_)




おや、ここは?

↓説明板だったと思われる板・・・(のっぺらぼうになってました_)

石柱には「明治天皇七里御小休所」と彫られています。/ 明治9年(1877)の「東北巡幸」の折の帰途に 天皇が休まれた場所、のようですね?(参考までに_「七里」はここの地名、です)

門の向こうには お堂のような建屋がありました。


30m程先に 今度は~

石造物が集められている場所がありました。

「庚申」と彫られた石、如意輪観音のような半跏思惟像、、、

石の窪みの屋根の下には座禅を組む地蔵菩薩のような石造物。

その向こうには又「庚申」さん。

しかし後で地図を見たらこのポイントは「尾立岩」って出るのです。(何でも日光の神が宇都宮へ遷る時 蛇の体となってここの岩の上に登り 尾を東に向けて立てた のだそう。/ ←しかしこの話は「日光二荒山(フタタラヤマ)神社を本宮 宇都宮二荒山(フタアラヤマ)神社を里宮」扱いしているような・・・。ですが、現在は否定されているこの説が 信じられていた時代もある、と聞きますから こんな伝承も又面白い。)// でともかく、見るべきは岩の下の石造物ではなく 大岩そのものだった、のです!(がくり)

更に行くと_

杉並木が終わり、男体山(←日光二荒山神社の御神体)が現れました。


「やー 着いたねー 日光!」

宝殿交差点を左へ進むと_

↑ケーキスタジオ日光が。
↓そしてその向こうの交差点手前にお蕎麦屋さんがありました。

「手打ちそば むつみ庵」ですって。

こちらでお昼を頂きましょう。

しかし 開店10分前、だったー。(戸口の前に12人並ぶ!/道行く車から「視線」を感じました。もしかしたら我々「ここ すごい人気のお蕎麦屋さんなんだよ」ってメッセージを送っていたかもー^^;)

_つづく_