追記あり/耳庵翁追善茶会で(ちょっとだけ)お手伝い(無持菴さんのお茶席あたりで) | (又)おだわらぐらし はじめました

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昨日_5月17日(金)は、板橋の松永記念館で「松永耳庵翁追善茶会」がありました。

これは、 10時~15時の間 松永記念館敷地内に点在する複数の茶室に お茶の先生方が 全部で六つの 耳庵さんを偲ぶお席 をかけられる という催し。(茶席は 時間内で 好きな席をいくつ回っても良い +お弁当つき)
私達にはまず (ハードルが高い、とかいう以前に) 覗かせて頂く資格が無い会だったのですが_
(追善茶会実行委員会さんが主催なさる会ですので)
幸運にも「お手伝い」という立場で 会場内_無持菴(ムジアン)さんがお釜を掛けられる無住庵周辺(お庭の周り)に立つ事ができました。

記念館から石段を上った先ー
老欅荘向かいに建つ田舎屋-無住庵。 




建屋については 以前UPした記事に(結構詳しく)記しておりますので 繰り返しは最小限にしたいと思いますがー


今回 建具の貼紙について知る事ができましたので 備忘録として~。

古い浄瑠璃本の様~ とまではわかっておりましたが、本の題は『奥州安達原(アダチガハラ)』だそうです。(無持菴の先生がお客様にご説明なさっているのを 漏れ聞きました^^;) そうとわかると紙の左端に「奥六」「奥七」~ とあるのは「州安達原の頁目」「_七頁目」~ の意味でしょうかね?

無住庵 茶室部分。


今回 壁に掛けられていたのは「耳庵さんの肖像画」。(写真と見えて何と このお席のために御社中さんが木炭と鉛筆で描かれた絵、なのです。/ 尚、ご本人によると_この作品作製で一番苦心なさった点は「建屋を傷めないため 軽くする事」だそうです。(思いもかけないポイントでした_))

↑お花は芍薬のつぼみ。
↓今回は躙り口は使われないので 止め石が置かれていました。


さて蹲(ツクバイ)の用意をいたしましょう。

清らな水を流します。(当節の事 柄杓は置かれませんが ここからの水音がするとしないのでは辺りの趣 全く違うんですよね。)


そろそろ開会時間のようです。


黒子は身を隠します。

この日の板橋は 初夏の日差し 爽やかな涼風~という 素晴らしいお天気でした。

(53年前の)6月に亡くなった耳庵さんを偲び _ 私もそっと合掌。

そして 素敵な会のお手伝いの機会を下さった無持菴の先生に感謝。


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<おまけ>
無持菴さんのお席で出されたお菓子を 分けて頂きました。

↑(丸い 金 の入ったものは)「金継ぎ琥珀 円」というお菓子ですって。(右は琥珀糖)
なんと 作られたのは金継士の方!
⇒ https://www.kitokintsugi.com/okashi

↓家に帰ってから撮り直しています。

お菓子の概念の「外」のような 美しい・・・「アート」でした。(+そしておいしゅうございました^^)
御馳走様でした。



//追記//
無持菴の先生から お席中のお写真をお借りする事ができました。

↑炉の前に(茶巾・茶筅・茶杓を組んだ)主茶碗-「古安南写」(手塚充作)と 棗。 / 鎌倉彫のお盆(博古堂さんの「古代⽡」)が個性的ですね。/ 右手の水指は備前焼の「種壺」(二代小西陶古作)との事。

↓菓子器に載せられたお菓子。

↑菓子器は「信楽の作家大平新五さんが備前の技で焼いた備前焼きの作品」だそうです。  どっしりとした存在感ある器で 上にのるお菓子の繊細さを際立たせてますね?

↓あ、お席が始まる時は お花は遺影の下に置かれたのですね? (上で貼りました写真は 準備中 の時間のものです) 追善 の心 改めて伝わって参りました。

↑花入れは「⽇⽕型 杉曲花⼊れ」。⼤阪の指物師、⼆代芦⽥真阿さんの作品。 真阿さんは昭和3年に亡くなってらっしゃるので この花入れは約100年(もしかしたらもっと?)前のものに。そこに これから咲こうとするお花というのは 素敵な組み合わせですね? / 余談ながら_芍薬に曲げ物というのは 花と花器の「格」を揃えるという お約束 からは外れる、のだそうです。が自由な茶の湯 を愛した耳庵さんを偲ぶお席には 型にはまらない はむしろふさわしい かもしれませんね?

_改めて、先生 ありがとうございました。