金子家住宅は ねぶり流し館の隣に建つ江戸時代後期の建屋。
安政の頃は質屋や古着商を、明治になると呉服や織物の問屋として財を成した金子家は 昭和57年までここで御商売をなさっていたといいます。
(↑暖簾が掛かっていますが 今はこちらからは入れないつくりー)
↓屋根の上には火に供えての天水甕(テンスイガメ)。(←雨水が溜まってい・・・るはず)
では屋内を見学しましょう。
↓ねぶり流し館 館内から入りますー。
入ったところは「土間」でした。
あら面白い造り_
↑右が 表(店)へ通じる「土間通り」。
↓手前は 札に「台所」と書かれています。食事をする場所だったのでしょうね。
(↑囲炉裏から湯気や煙が上がるので 上が吹き抜けになっています。)
台所の 土間をはさんだ向かいに蔵。
蔵の入口の上まで屋根がかけられているので 表の店と蔵は 濡れずに行き来できるようになっています。
↑蔵の中には 椅子とテーブルが置かれていましたが 元々は商品が納められていた、のかな?
↓壁には藍染の法被。
(↑民芸調のカフェかギャラリーのような雰囲気ですね?)
「土間通り」を 店 に向かって進みます。
左手が「台所」。
続いて「おえ(居間)」。
「おえ」の向こうは庭です。
その先は「中の間」、奥に「仏間」。
それから「店」。
左手(中の間側)に階段。(可動式っぽいですね?)
↓「店先のようす(昭和初期)」
↑「卸専門のため、商品は店先にはおかず、蔵の棚に置き、仕入れ客を番頭が蔵に案内して商品を決めました。~」
な~るほど、それで 店と蔵が直結した造りになっていたんだー。
↓表側から見た 店。
(↑店部分以外は上がらせてもらえました。これは奥の廊下側から撮っています。)
↓通り側。
~ こんなのが「旧金子家住宅」でした。
<おまけ>
「土間通り」側に作り付けの下駄箱がありました。
↑まさかの 片方ずつ 収納。(本当にこんな使われ方をしていたのかな? それとも元々は別の何かの収納場所だった???)