ねぶり流し館 | (又)おだわらぐらし はじめました

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「新しい日常」を綴って参ります

では赤れんが郷土館の分館_「秋田市民俗芸能伝承館および旧金子家住宅」を見学させてもらいましょう。
まず秋田市民俗芸能伝承館から。 (施設名が長いからか? 秋田市民俗芸能伝承館は「ねぶり流し館」という愛称で呼ばれているようでした。/ ねぶり流し~ の由来については後で知る事に。)


(↑場所は さっき訪ねた赤れんが郷土館から3ブロック程北 / あ このMAPは下が北ですね)

↑表に向かって ばばん と竿燈(カントウ)が飾られています。(竿燈とは 竿に取り付けられた沢山の提灯飾り。 主神と合わせて佐竹氏を祀る「八幡秋田神社」(久保田城跡)のお祭りで使われます。尚 鈴なりの提灯は「稲穂」を表しているそうです。)

入館しましょう。



わ~っ


↑これです! 竿燈は その「持ち方」が独特なんです。(「差し手」と呼ばれる衆が 頭の他 手のひら 肩 腰 いろんな処で バランスをとりながら 提灯の下がる 長い竿を支えます)

お祭りの夜は 沢山の竿燈(200本以上)が 大通りで 妙技 を競い合います。

↑竿は手元で竹(←継ぎ竹)を継ぎ足して のばす事ができます どんどん高さを増し しなっていく竿燈! 凄んいですー。 これは 静止画では感動 お伝えしきれません。(YouTubeに動画が沢山あるので 是非検索してご覧下さい)

その他の展示物_

(↑提灯に描かれている「町紋」/ 竿燈は「町」単位でお祭りに出るんですね?)

(色んなサイズがあります。/子供用、もあるんだ。)
↓技集。


↓パネル。

(↑へー、「竿燈」という名称は明治以降のもので 更にそれが一般的になったのは 昭和に入ってから、ですかー。 江戸時代には「ねぶり(眠り)流し」と呼ばれていたんですね?(ねぶり~は 笹に絵や願いを書い吊るし川に流す、七夕前夜の穢れ流しの行事。蝋燭が庶民にも入手できるようになると 人々は提灯に文字を書き 夜練り歩くようになった~ という事です。更に この「ねぶり」が「ねぶた」 「ねぷた」のルーツ、なのだそう。)/ それでこの施設の名前が「ねぶり流し館」なのか。)

↓衣装 小道具_。

↑日の丸扇は佐竹の紋_。お殿様役の人が身に付けられる裃でしょうか。 / 右に見える「花傘」は 竿燈の「親竹」の次に入れる物、らしいー。

竿燈以外の伝統文化も紹介されていました。
↓「秋田万歳」。

↓「山谷番楽(ヤマヤバンガク)」。(番楽というのは「山伏神楽の一種」だそうです。)

↓これは「黒川番楽」。演目は「曽我兄弟」。


↑左のシュっとしてる方がお兄さんの十郎、

↑右のひょっとこ似の方は 弟の五郎だそうです。/ 歌舞伎とかだと 弟が「男前」に描かれますが・・・ ちょっと新鮮(?)でした。
↓妙齢のお姉さんが 扇子を持ちながらも 袴に襷 更に鉢巻という勇ましい姿で踊っているのは「羽川剣囃子」。

元々は男性による 戦勝を祝う剣の舞 だったそうですが これが廃れ、女性による扇子の舞として残った~ との事。へー。


続いては 隣の「旧金子家住宅」へ。