能代の八幡神社 | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

「旧料亭 金勇(カネユウ)」を見学した後は_
その南に建つ神社へ行ってみました。

(↑右手前に由緒書。_しかし アップで撮るのを忘れましたー・・・)

(なぜならこの右手の門から金勇へ入って~ 金勇から出る時は 鳥居の向こうへ抜けてしまったので)
_という訳で 秋田県神社庁の「八幡神社」の頁から情報を頂きました_

こちら 御祭神は 八幡大神 住吉大神 恵比須大神。 斉明天皇4年(658)に、越の国国司、阿倍比羅夫が「蝦夷降伏八幡(エゾムケノハチマン)」と号して海岸中嶋(←米代川の流れが変わり 今は不明の地)に祀ったのがはじめ、桓武天皇の時代には坂上田村麻呂も東夷征討の折にお参りした~ という古社だそう。
現在地には元禄9年に遷座されたといいますが 昭和31年の能代大火で社殿が類焼_ 今建つのは その翌年再建された建屋との事です。
(+/ この後読んだ「八幡神社の逆さ松」の説明板には 「(前略)八幡神社は 八幡・住吉・恵比須の三社が合祀されたものであるが、このあたりの社地一帯を住吉ともいわれる。(後略)」とありました。/元禄の遷座前からここにお鎮まりだったのは住吉社で そこへ八幡・恵比須社が合祀された~ という事でしょうか?)

参道を進みます。




↑鳥居の扁額には「八幡神社」と記されています。

鳥居の両脇に狛犬。



さて 先に進もうとしたら 気になる木、が。



↑「逆さ松」ですって。
「(前略)菅江真澄の『霞むつきほし(月星)』に 「波貴野住吉の松原」という一文があり、それに添えられた絵には八幡神社が厚く松原に囲まれて描かれている。/ 現在ある松は、古くから何代も植え継がれ、神社を守ってきたものの名残であろう。そのうちの一本は、不思議なことに幹の中間が太くなっており、これを「逆さ松」と称ししたしまれている。」_そうな。

境内にはもう一本「気になる木」が。

大きな欅の幹に顔が描かれてるんです。


↑ゆわれ をご存じの方 いらっしゃったら惜しまず教えて下さい。

社殿に近づくと 又一対の狛犬。


(↑不思議に左右非対称で個性的な顔^^;)

改めて _の八幡様。


拝殿入口上の板の文字「八幡神社」。


↑揮毫は鷹司信輔という方。

ご挨拶。

↓お賽銭箱に橘・・・?いや菊があしらわれていますね。

調べてみたら「菊座橘紋(キクザタチバナモン)」という紋でした。(八幡神社で橘~ って珍しいですよね?何か謂れがあるのかな?)

拝殿左(東)へー。

蔵が建っていました。



↑神輿蔵のようです。

拝殿右(東)には 池がありました。

池の中の小島に渡した赤い太鼓橋の陸側にはー
↓「住吉龍神社」という神社が。



カラフルな龍の破風飾り。

東側から見たところ_。

小島側に赤い鳥居が見えます。手前が拝殿で 橋の向こうが本殿、のようです。


↓あら この拝殿は「史跡」だそうですよ?

(↑こちらでは住吉~ではなく「水門龍神社」になっていますが。)
へー こんな所で明治元年に「勤王の人達」が密儀を、ねー。(ところで真ん中の消された文字列、何でしょう 気になるー)

~ とこんなのが「能代の八幡様」なのでした。

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近くで見かけたマンホールの蓋。

↑あ、これは 「逆さ松」の説明文にあった「波貴野住吉の松原」を描いたものかしら?

他に見たマンホールの蓋は~

↑シャチホコ。(「能代ねぶながし」のデザイン)
↓そしてバスケットボール。


↑書かれているのは「バスケの街 NOSHIRO」の文字。

何故能代がバスケの街なのか についてはこちらをどうぞ。↓
https://www.city.noshiro.lg.jp/sangyo/basket/
なんと能代には「バスケミュージアム」なるものまであるんですよ! すごい。(スラダンの決勝戦の対戦相手「山王工業」のモデルが「能代工業」といわれている事もあり、劇場版人気の高まりとともに来場者が増えた~ のですって!)

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続いては 男鹿半島へ行ってみました。