弘前の仲町(笹森家住宅+岩田家住宅) | おだわらぐらし

おだわらぐらし

縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

仲町(ナカチョウ)の侍町 もう少し歩いてみましょう。


続いて見学したのは_

旧笹森家住宅


↑移築保存されているとはいえ 元建っていた場所も仲町内、江戸時代中期に建てられ 建築当所から間取りがほぼ変わっていないなど 資料価値の高いお宅との事。

鉤になった建屋。飛び石が奥の土間、手前の玄関、そして_

前庭まで その入口を示すように敷かれていました。


↓土間から 囲炉裏のある板張りの間「台所」に上がったところ。

↑囲炉裏を囲むように円座とお膳が置かれています。ここが食事をする場所だったのでしょうね。(囲炉裏縁に置かれたお盆の上は何だろう? おひつかしら?)

↑囲炉裏の煙は どう流れたのかな?

↓「常居(ジョイ)≒居間」とよばれる大きな囲炉裏のある畳敷きの間。


南の座敷へ入るなり「わ」と言ってしまいました。

立派な鎧兜です。

説明員さんが 「あ、これは 武家屋敷の雰囲気を味わってもらおうと 置かれたもので、笹森家の物じゃないんですよ。」との事でした。
説明員さんは「あと これもね・・・ 笹森家の物じゃありません。」と 鹿の角の刀掛けをさして おっしゃいました。

(↑鹿の角の~ って ちょっと趣味に走った感じがしますね^^;)
↓縁側へ出てみます。


↑サワラの垣根のそばに くねり と曲がったヒバの大木。説明員さんが「もちろん あの木も笹森家の物ではありません。」 そうそう笹森家は ここから少し東に建っていたお宅だ との事でしたね^^;)


最後に旧岩田家住宅を訪ねました。




↓あ、ここだ。(結構離れてました_)


(↑ちょっと旗や案内板 多すぎかもー。門がよく見えません...)


↓旧岩田家住宅 説明板。

↑江戸時代後期に建てられた住宅で 「発掘調査や 柱などに遺された痕跡から判断すると、建ててまもない時期に一度曳家され、その後四回ほど間取りや造作などの改造がなされています。しかしそれらの改造もあまり大がかりでなく、柱などの主要構造部や屋根葺材料などは、ほぼ建築当所のままで現在にいたりました。」 (← すごい!そんな事までわかるんだー!)
_ともかく、この岩田家住宅は(一度曳家された痕跡はあるものの)以来ずっとここに建ち続けていんですね。 という訳で 井戸 なども 江戸時代の位置のまま、なのだそうです。

入口へ向かっております。



入口の向かいにー


屋根つきの井戸。



主屋入口。

↓「現在の建物と岩田家 /(中略)江戸時代後期の頃の間取りに復元したものであります。」

(↑なるほど、つい近年までここで岩田さんが生活しておられたので そのままでは「侍町の~」という展示ができなかった、んですね?)

館内。

↑床の間があるのだから 八畳のメインルームでしょうね?
↓(メインルームの)北の六畳の間。


(↑襖の左奥)
(↓復元以前の間取り。/すると昭和50年代頃?北西の板の間がキッチンだったみたいですね?/お風呂はどこかな?)

↓中の囲炉裏の八畳の間。

(↑↓同じ部屋)


奥の八畳の間。

(↑↓同じ部屋。)


囲炉裏のある板の間。


北西のキッチンは 土間 に作り直されています。

↓北の廊下。

↓北の板の間から南を見たところ_。

↓玄関北の窓から表(井戸の方)を見たところ_。


質素で骨太な生活がここにあったのだろうなー と思わせる住宅でした。



<+>
この界隈ではサワラの生垣をよく目にしました。
てっきり「(サワラの葉を)焼魚の下に敷くのに使うため」かと思いましたが サワラは 雪国では成長が遅く 生垣に適している のだそうです。そうだったのかー!