赤神神社(アカガミジンジャ) 五社堂(ゴシャドウ) 鬼が作った999段の石段 | (又)おだわらぐらし はじめました

(又)おだわらぐらし はじめました

 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

前日の「真山神社(旧-真山 赤神神社)」に続いて、翌日は 本山の方の赤神神社の 五社堂 へ行ってみました。


↑海を見下ろす大桟橋展望台の駐車場からの眺め。
↓山側には滝が見えます。

↓五社堂はきっと 雲の中...。



五社堂登山道入り口まで来ました。

↓広場のあちこちに かつてあったお堂や寺院名を記した柱が立っています。

(↑「永禅院跡」)
(↓池の端には「弁天堂跡」)

かつてここには赤神神社の別当寺院-「赤神山-日積寺-永禅院」というお寺があったのですね?


↓休憩所。

↓休憩所の壁に貼られていたパネル。

↑因みにここは 昔話「鬼が作った999段の石段」の舞台です。
 色んなバリアンツを持つ昔話ですが、この本山地区では「漢の武帝の家来の 鬼に変身した五匹の蝙蝠の墓が 上の五社堂」という事になっているといいます。(因みに五匹の内訳は 「両親と子供三匹」、ですって。)
 又「武帝」=本山の「赤神」とされ、なまはげ(鬼たち)を赤神の使いと考える 由来・根拠 になっているそうです。

では 上がって行きましょうか。




昔の絵地図と 供養塔。

絵地図にはかつての赤神山-日積寺-永禅院の伽藍が描かれています。

↓(中心部分)

↑二つの滝に挟まれた清浄な地に いくつものお寺やお堂。 高い所に「五社」が並んで建っています。 あそこまで歩くのね。

↓宝篋印塔(供養塔)の向こうに何かあります。


↑何なに... 「徐福塚」!!!
↓びっくり。

あ... 塚はすでに失われ 「門前石」をもって「復元」したんですかー ↓この石 ですかね?


「薬師堂跡」の前を歩きます。


そこからは 「ひたすらに」な道でした。

ここ 綺麗でした。




二輪草が群生していたんです。





雨が降ってきた・・・。


(↑この辺り 石の敷き方が粗くで ちょっと歩きにくかった。鬼の仕事にも なかだるみ とかあるのかな?)

↓あら道脇に_

「象頭」?歓喜天(ガネーシャ)の事でしょうか?(でも上の種字が違う?)


鳥居が見えて来た。



↑ここから「五社堂境内地」だそうです。

↓道脇に「毘沙門天」と刻まれた石。

(↑隣の石も 元々は字が彫られていたようですが・・・ 読めません)


これ・・・は

菅江真澄の「姿見の井戸」ですって。


↑そばの説明板にはー
「菅江真澄 男鹿遊覧記の記述によると「坂を遥かに登ると、姿見の井戸がある。この水鏡が曇り、真個の形が写らない人は、命が長くないと占われる。」とある。
 また、鈴木重孝編著本キヌブルイによると、「弘法大師加持の御洪水といい三尺余の丸石の井なり、深さ一丈余。井水に姿を写し見えざれば、三年の中に没すという清水なり。登山の男女嗽をなす。」と記されている。」_ とありました。
新しいバケツも吊るされているし・・・現役の井戸 のようですね?



更に行くと_


並ぶ五社の姿が ぼんやり見えてきました。

これは ・・・ 美しい。


心が静まっていきます。

(↑長床というのは 読経のための場所 だそうです。)

一社一社 訪ねてみましょう。


↓「十禅師堂」

↓「八王子堂」


↓真ん中に建つ 一番大きな社が「赤神権現堂」。

中にはお厨子。その前に三体の御幣。


(↑後で説明板を読んで知った事ですが 堂内には「石造狛犬」が納められていたようです・・・ 見てみたかったなあー ↓ 検索したら「男鹿市観光商工課の公式ブログ」で拝見できました。⇒

↓「客人(マロウド)権現堂」



↓「三の宮堂」







近くにあったパネル。

↑「赤神神社五社堂
 赤神神社の創立はきわめて古く、赤神は漢の飛来したところと伝えられ、貞観二年(860)、慈覚大師がここに日積寺永禅院を建て、赤神をその山神としたという。
 建保四年(1216)に源実朝は堂社をことごとく比叡山に模して造営したとされている。
 その後、応安五年(1372)に安倍高季(タカスエ)によって修復され、元和三年(1617)拝殿造営、寛永十五年(1638)、寛文二年(1662)再興、延宝三、四年(1675~76)には堂全体の造営があった。
 現在の社殿は、秋田藩主第四代佐竹義格の命により大久保小左衛門が普請奉行となり、宝永四年(1707)から七年(1710)にかけて建替えられ、江戸中期様式を示す建築である。
 五社は、向かって右側から 三の宮堂、客人権現堂、赤神権現堂、八王子堂、十禅師堂で、五棟とも格桁行二間、梁間三間一重、正面入母屋造、背面切妻造り、妻入り、向拝一間、唐破風造、栩葺(トチブキ)の建造物である。
 中堂は、厨子をおさめるため他より大きい。また、同型式の社殿五棟が山中に横一列に並んで現存しているのは極めてまれである。
 この地は、平安時代末から天台宗山岳仏教の修験道場として発展し、後に真言宗に改宗、藩主から多くの神田を寄進され、衆徒の存在も知られ、おおいに栄えていたが、明治になり神仏分離令により赤神神社として残る

国、県、市 指定文化財(建造物、彫刻)
一、赤神神社五社堂 平成二年三月十九日 国指定重要文化財
二、五社堂の収納する文化財
 イ 逗子(中堂) 昭和四二年六月一五日 国指定重要文化財
 ロ 木造十一面観音立像(八王子堂) 昭和二七年十一月一日 県指定有形文化財
 ハ 木造聖観音立像(八王子堂) 昭和二七年十一がつ一日 兼指定有形文化財
 ニ 石造狛犬(中堂) 昭和二七年十一月一日 県指定有形文化財
 ホ 木造十一面観音立像(客人権現堂) 平成十九年三月二〇日 県指定有形文化財」

↑>「明治になり神仏分離令により赤神神社として残る」とありますが お堂には「権現堂」という名称が残り 又 堂内には多くの仏教系のお像や仏具があるとの事_。「権現信仰の名残をとどめている」としてもよい、かもしれませんね?

↓こんな説明板もあった。

↑「赤神神社五社堂
 男鹿のナマハゲ(行事)には、元、モデルとなっている五匹の鬼がいます。
 眉間(ミケン)・・・父
 逆頬(サカツラ)・・・母
 眼光鬼(ガンコウキ)
 首人鬼(オビトキ)・・子
 押領鬼(オウリョウキ)
 なまはげ(人間+面)行事の、元、モデルの鬼を今日に伝える神社が赤神神社五社堂です。」


下りて参りましょう。



↑ふ っと霧(雲?)から抜けました_。


霧が濃かったせいでしょうか  他の観光客に(ほとんど)合わなかったせいでしょうか  なんだか 一時異世界に行っていたような 不思議な気持ちがいたしました。 / おしまい。