「浅虫(アサムシ)温泉駅」周辺 | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

浅虫温泉駅に着いた時 すでに陽は西に傾いていました。

(↑ペデストリアンデッキの向こうに見えるのは5Fに展望風呂「はだかの湯」のある複合入浴施設「浅虫温泉ゆ〜さ浅虫」。)
↓ペデストリアンデッキへ上がり海に、向かって歩きます。

ははは 期待したほど 波打ち際には近くなかった。

↑奥の小島は「湯ノ島」。/手前の建屋は「海の駅 あさむしマリーナ」。
↑右奥に見える岩は_
↓「裸島」ですって。

↑その手前の湾曲した防波堤の内側は海水浴場「サンセットビーチあさむし」。

↓デッキを下り海の際へ。(写っているのは「なかよし橋」。)

↑ここでは あの湯ノ島の向こうに夕日が沈むそうです。

線路の山側に 昔ながらの温泉があるというので 行ってみます。

(↑バス停の向こうが駅。)
(↓街灯に「←浅虫中央街」という袖看板がついていました。)



(↑街灯脇の案内板には 棟方志功についての記述が_。/ しばしば浅虫に滞在した棟方は1963年に浅虫観光ポスター用として風景画を描いたそう。椿館という旅館でその原画を見る事ができるそうですがー・・・ 拝見は宿泊しないと無理、かな?)))

ともあれ
昭和~な雰囲気の温泉街を歩いてみましょう。


おっと・・・ここは?


↑うっかり工場エリアに迷い込んだのかしらと思ったら この緑のタンク「浅虫温泉授業共同組合」の「貯湯槽」です。 これはこれで温泉街”らしい”景色、かな?
↓又手前の東屋っぽい所は よく見ると「足湯」でした。

その横には~

湯殿大権現の祠。

そしてー「温泉卵場(源泉)」。


↑あ屋根の下の梁に「麻蒸」の文字!
浅虫は 元々は麻蒸だったの?
↓横に建てられた説明板。

↑「由来
浅虫温泉は平安時代の終わりごろ 浄土宗の開祖円光大師(法然)が欧州巡教の折 傷ついた羚羊(カモシカ)が湯あみするのを見て発見されたと伝えられております。
其の地名は嘗(カツ)て住民が織布の麻を蒸していたため麻蒸と呼ばれていました。
しかし火難を怖れ火に縁のある文字を嫌いその後 浅虫になったと言われております。
  昭和六十壹年拾壹月壹日」
ー なるほど。

湯壺。 (こちら的には「麻蒸湯」)。

↑左「大熱壺」、右「小熱壺」。
↓大。/ゆで卵用。

(↑卵を入れたネットをひっかけるためでしょう、渡された棒にはフックが付けられていました。/ けど、 枠の外の取手は何のためについてるのかな?)
↓小。/こちらはゆで卵を作るためではなく「飲泉場」として作られたもの、との事。

脇に成分表。


あれ、観光客向けのきちんとした案内板が設置されてる。

どうやら_ こちら側から訪ねるべきだった 模様。


その先ー
浅虫川にそって 宿っぽい家並が並んでいました。



(↑もっともこちらは「移住・ワーケーション体験施設 古民家 石木邸」だそう_)

おや これは何かな?



↑これは平成12年までここにあった「はだか湯」という公衆温泉浴場の存在を伝えるために建てられた碑ですって。/「はだか湯」の名は 道の駅に設けられた展望風呂が継いでいるようですね。

もう一度鉄道の下を潜り~

海側の道へ。

南へ歩くと~

「辰巳館」という宿がありました。


「こんにちはー」

今回はここでお世話になりました。

つづく