東善院の魚籃(ギョラン)観音 | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

(つづき)



早川には もうひとつ有名な観音様がいらっしゃいます。早川駅のホームからも見える薬王山-東善院の「魚籃観音」です。

↑真福寺の「早川観音」を出て 少し歩くとすぐ 家並の向こうに立ち姿が見えてきます。
が、行きつくのは ちょっとむつかしい(?)。

↑赤いポイント印が「魚籃観音」/ 通りからそれて くるる~ と回らねばならないのです。

早川観音側から行くと、↓この案内板が出るより先に 魚籃(魚の入った手籠)を持った観音様のお姿が見えてしまうので うっかり手前の坂を上ったりしてしまいます。(はい、私達の事です_)



↓ここ から坂を上がって行きます。


六地蔵が並ぶ階段上がり口。

上がった先に本堂。

入口上に院号。

さっきお参りした瑠璃山-薬師院-真福寺と同じく真言宗東寺派。故に寺紋も東寺雲 更に 「江戸時代には国府津・宝金剛寺の末寺であった」ところも真福寺と同じ。 尚本尊は薬師如来との事。(LocalWikiによる)

(↑鳥衾の下に寺紋-東寺雲が見えます)

本堂左にのぞく観音様。

もう一段上、の区分にいらっしゃるようです。


階段を上がった先に_


「厄除 魚籃観音」と記された石、その前にお賽銭箱 その上に覆い屋。

ここが礼拝所なのでしょう。(合掌)

近くにあった由緒書。

魚籃大観音建立の由来
当山は応永二十二年(1415年/564年前)の開創で薬王山東善密寺と号して昔から小田原市早川地区の鎮守 紀の宮神社の副別当寺として今日に至りました 本尊は薬師如来魚籃観音を脇仏として御祀りしております。縁あって愚僧東善院住職を拝命以来四十余年、此の景勝の台地に海上から拝せるような魚籃観音を建立して海上安全、大漁満足、別しては我々に栄養源として生命を捧げている魚貝類への報恩感謝の供養また平和日本建設と殉国の英霊並びに大戦による犠牲者と世界無名戦士の冥福を祈念したいと念願し、檀家一同に相図りその賛意を得て建立計画が立案されました。
尊像の建立を望月秀晃先生に依頼、施工はマルセ建設(株)で着工、有縁の方々の尊い御寄進と、更に建立委員の献身的な作業奉仕を得て鉄筋コンクリート造、総高十三米の慈悲あふるる麗しい代表的芸術として、後世に偉跡を残す尊像が三ヵ年の工期を経て大業の成就となりました。
願はくは本尊のご加護、十方有縁の観音の妙智力を念ずる皆様方が厄除開運、家内安全 所願成就、のご利益を授からんことを祈念する次第であります。
 例祭日 毎月十七日
  昭和五十七年(1982)十一月吉祥日
 薬王山東善院住職
  権大僧正 大野大雅」

なるほど、大きな魚籃観音立像は ご住職さんの立案で1982年に建立されたものだったんですね。魚籃観音が本堂の「本尊物薬師如来の脇仏」というのもこの由緒書で初めて知りました。




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早川駅から電車で帰ります。(早川から小田原へは 一駅)

ホームからさっき拝んだ観音様が見えました。


おしまい。



<おまけ>
小田原駅からは 勢いで(?)大雄山線に乗り~


↓一駅先の緑町(ミドリチョウ)駅で下車^^;)

(↑緑町駅のホームから大雄山へ向かう電車を見送っています。)

ホームからは向いの駐車場に_

ばばんと「夕日の滝」と書かれた看板が見えました。

ほぅ 夕日の滝の広告かなと思いましたが よくよく見たら 電気カーシェアリングサービス「eemo」の看板で 笑ってしまいました。(ちなみにeemoのHPによると 写っているのは取締役さんだそうです^^; 文字通り体をはった広告、だったんですねー)

Xに撮影時の動画も上がってました⇒
(いやいや すごいすごい)



で_この後どこへ行ったか、は 次の頁で。