では散策路の「休憩所」近くの立体交差のトンネルを潜る~ ところから。



トンネル内の腰壁には 意外にも(?)落書き されてました。


いけない事ではあるけれど、こーんな場所までハルバル悪戯しに来た子供達がいる事に ちょっと笑ってしまいました。
(↓これは 小学生が描いたのかなー?)


(↑火を噴く椎茸?)
と、問題はココカラ。

山からの水が道を流れていたのです。(前日降った雨のせいかな?)

↑かなりの水量で とても渡れず_やむなくちょっと引き返して 左手のセメントの上を歩かせてもらいました。// 尚、後で石碑を読んで分かった事ですが この道はもともと「道水路兼用」の施設として戦前に作られたものだったのです。(つまり雨が降れば川になってあたりまえ、の道。へ~。)
その先に~

集荷用モノレール。

こちらは 道をまたぐ(モノレールの)軌道。

まるでウエルカムゲイトみたい^^)

(白状すると「みかんと一緒にモノレールに乗ってみたい!」/ せめて運搬中の車輛を見てみたい。)


みかんやレモンの畑の中の道を進みます。



(↑なんとも もったいない 光景~^^;)
そろそろ みかんの国もおしまい。




↑道は お暗い木立の中へ入っていきます。
↓道脇を流れていた水は ここで一度暗渠へ導かれー

↓水路を流れていきました。

あれ? 橋の手前に石碑が・・・。


何なにー?

「道路復舊(旧)之碑
時昭和十六年(1941)七月の大出水に谷津腸渓間 道水路ハ崩壊流失真に形跡を止(トド)めざる惨状を呈し一帯の柑橘園は交通杜絶(トゼツ)之状 経営に大支障を生ず 茲(ココ)に関係者相図り復旧計画を立て相当工費を投ぜるも国県市より多大の恩恵に浴し工程速に多年熱望せる 道水路兼用工事全く成り所期(ショキ)の目的を達成す 恰(アタカ)も対米英宣戦に際会せり 仍(ヨリ)て碑を建て永遠の記念とす
昭和十七年十月
早川谷津脇水害復旧組合」
やあ、何でも読んでみるものですねー!
(ここは 「道水路兼用(=水路兼用農道)」だったんですね。 ここでは道表面を水が流れるのは「あたりまえ」だったのです。)
石橋を渡ります。

橋の脇から(水路兼用農道を流れてきた水が)谷へ落とされていました。




↑橋から振り返ったところ_。
↓川下側。



↑あらあら 色んな蜜柑が流れていくよー。(「ラバーダックレース」みたい^^)
でこの橋はー


↑「澤道橋」ですって。/ 覚えましょう。
先へ行きます。

山道が終わった~ ようです。里に近づいたのかな?

↓山側を振り返ったところ。/道脇の水が 暗渠にすいこまれていきます。


(↑実は この時の水量はかなり多く 暗渠の水は蓋にあたり ばっちん ばっちん ものすごい音を立てていました。)
新幹線の桁橋下(というか むしろトンネル?)を潜ります。



(↑あ ここ「JR東海」の管轄なんだー。って当然かー。)
直進すると 早川駅ですがー


(↑東海道本線のガード/ 潜って左 が早川駅)
折角ですから 手前の真福寺へ寄っていきましょう。

_ つづく。