甘柑荘の「大炉(ダイロ)」でのお茶を頂いた帰り_
バス停「早川口」近くに建つ呉服屋さん「片野屋」へ寄りました。

(↑真ん中の洋風の建屋が 呉服の片野屋さん。左は「レディースファッション カタノ」(←この日はお休みでした)、右は「ヤオタメ」さんです。)
↓雛の頃とて_

↑左手のショウウィンドウには、
↓豆雛が飾られていました。/写真では分かりにくいのですが この豆雛、実は「木目込み」です。細かな作業が必要な木目込みの、更にミニサイズ!(すごい...)

↑又、この豆雛は今の片野屋さんの御店主(四代目)の妹さんのもので、右下の雛飾りの写る写真の右手真ん中あたりに飾られているのが この豆雛 ですって。(尚、写真の 抱っこされてる赤ちゃんが妹さんだそう。)/ やー 良いものを見せて頂いたー。
片野屋さんのお店の戸には「豆相(ヅソウ / 伊豆-相模)人車(ジンシャ)鉄道・温泉夢物語館」の看板も出ています。/「←ご自由にお立ちよりください」とも書かれていますしー お邪魔してみる事に。

「こんにちはー」

(入ってスグのところには駅伝の資料が並んでいました。)
↓左手に「豆相人車鉄道 温泉夢物語館」のパネル。

書籍や資料も色々~。

↓えー?人車鉄道のルートの高低差ってこんなにあったのー?な図。(画質悪くてスミマセン)


↑ジオラマの”作りこみ”度、スゴイ 。(祭前掛けみたいに後ろがバッテンになった車夫のユニフォーム、屋根を外して 中の様子まで見られるようにしてある人車鉄道の車輛まであるー。)
いや~ 見応えありました。
そして 説明して下さる店主-片野さんの お話の詳しい事 面白い事! (「へー」と「まー」を繰り返していたワタクシタチ^^;)
お訪ねして良かった。
(片野屋さんは 建屋自体も、洋風の外観を持ちながら中は木造で 昔ながらの呉服屋の造りをもっていてユニーク。できたら又 お訪ねしたく思います。)
- - - - -
で、改めてですが_
片野屋呉服店が建つのは 昔の人車鉄道(後に「軽便鉄道」になります)時代の小田原駅のすぐそば。

(↑ヤオタメさん横の道を西へ渡った所に建つ碑に「小田原駅跡」の文字。)

↑「明治二十九年(1896)三月 熱海方面への陸上輸送路として豆相人車鉄道が解説され 早川口が小田原駅となった。明治四十一年に軽便鉄道とし、小田原電鉄からの乗換駅として、この地方の交通に恩恵を与えた。 大正十一年十二月 国鉄熱海線が真鶴まで開通したことによって、その任務を全うした。」(尚、小田原電鉄は 国府津と箱根湯本を結んでいた電車で 鉄道唱歌の「♪国府津降るれば馬車ありて」の馬車鉄道が電化されたもの、だそう。)

そーかー、つまり かつてはここが小田原の「一等地」だったんですね。/ 旧十字町に政財界の大物の御屋敷が多かったのも ここが便利で開けた場所だったからなのだ と 今頃合点。// おしまい。