三淵邸・甘柑荘(カンカンソウ)の茶席(3月2日) | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

(昨日の事でございますが_)

『雛の道中』(←小田原市のイベント)に合わせての甘柑荘の公開日(3/2土+3/3日)_ 今回は  -先頃修復なった大炉(ダイロ)で ”囲炉裏の茶湯” が行われる- というので 「ほぅそれは!」と 伺って参りました。

↑大炉というのは文字通り「大きな炉」。甘柑荘の大炉は 普通のものより更に二寸大きいので 茶室の炉というより むしろ囲炉裏に近い感じがいたします。 _で実際、三淵家ではこの上に自在鉤を吊っていたそうです。 これには三淵忠彦さんと親交のあった松永耳庵さん(←「茶道は生活~」とおっしゃっていた茶人。)の影響もあったのではないか?との事で_ 興味深く感じました。

↑お釜のサイズから 大炉の大きさ、おはかり下さい。普通炉の真ん中に据えられるお釜が 片隅に寄り、その反対側には熱を対流させるため灰山が造られています。 (+灰山の上には炭が飾られ 斜面には蜜柑の葉が。 もっとも お約束的には「松の葉が散らされる」のだそうですが、ここは「甘柑荘」ですから。)
↓近寄って拝見すると 思いのほかに炭の火力が強くてびっくり。(お湯はしゅんしゅん沸き 体はぽかぽか_)

(↑そして灰山の上の炭の 美しい事!)

今回もお釜を掛けられたのは無持菴(ムジアン)さん。

↑棚には 桃と 小さなお雛様。

客が囲炉裏の縁を囲むように座ると_ お茶が始まります。
↓お菓子は 伊勢屋さんの「お花見三色団子」でした。

(↑団子~という名称ながら米粉の 団子 部分は無しの「餡子玉」で、味は上から「梅 抹茶 小豆」。 余談ながら写真はちょっとうっかりお団子を動かした後、で 串が左右逆になっておりますー スミマセン)

↓お茶。(一保堂さんのお薄)

(↑白状するとこれも 一口頂いてから「あ 撮り忘れた」と撮ったもの_ 亭主が、ですが スミマセン スミマセン)
お茶碗は膳所(ゼゼ)焼で 蝶が舞う絵が描かれた 春 のお茶碗でした。

絵はありませんが 私が頂いたお茶碗は大樋焼の飴色の筒茶碗でした。/ 大樋焼は石川県の窯。「石川県の応援のつもりで(このお茶碗を)持ってきました」と先生。 楽の系統で(楽家以外が焼く楽茶碗、の意味で「脇楽」というそうです)不思議な「軽さ」と「あたたかみ」のあるお茶碗で 一服 頂きながら、私も能登の復興を祈りました。

(この他、主茶碗に 先生は渋谷泥詩の筒茶碗をお持ちになっていました。/ 萩独特の雅で優しい色艶と へらで削った荒々しい作風が魔法の様に調和した美しいお茶碗_ 又拝見でき(実は私 先生のお席で以前 手にさせて頂いた事があるのです) 感動_。)

ありがとうございました。

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お雛様も拝見しましょう。


(↑昨年も撮らせて頂いた 三淵忠彦さんの娘-多摩さん(←管理人さん達のおばあ様)がお持ちだったという 大正時代のお雛様。
あら? 去年とは並び方が少し変わっていますね? 高砂の翁と媼が三人官女をはさむように立ってます。箪笥長持の位置も。(どちらかのお家の例を参考になさったのかしら?)

縁には 管理人-上谷(カミヤ)さん(多摩さんのお孫さん)の木目込みのお雛様。


↑こちらは「七人雅楽」が雅な音を奏でています。(ん?琵琶がギッチョですぞ^^;)


時に_
伺うと管理人さんたちは小田原在住ではない との事。 市のイベントに合わせて家屋を公開なさるのもお大変でしょうに このように良い物を色々見せて下さり ありがたい事でございます。

(↓おいとまする時 振り返って見た甘柑荘の門。)


いよいよ来月からNHKの朝ドラ『虎に翼』が始まります。主人公のモデルである三淵嘉子(ミブチヨシコ)さん(←甘柑荘の主-三淵忠彦さんからみると長男の嫁)の知名度が高まると ゆかりある場所として小田原の甘柑荘への関心度もアップするかな?
甘柑荘、_できるだけ多くの人にお訪ね頂きたい場所、です。



<参考までに>
↓去年伺った時の記事_。(ひな檀の高砂人形の位置にご注目? 尚、この時は お茶碗の写真もちゃんと撮れております。)






メモ資料として_>
無持菴さんの_甘柑荘の炉の修復についての記事⇒
三淵邸・甘柑荘さんの_大炉のお稽古 の記事⇒
(↑灰山の代わりに瓦が使われているのは 裏千家の流儀だそう。) 

どちらも これから長く「資料」として使わせて頂く事になろうかと思われる素晴らしいお写真と内容です。是非ご覧下さい。