ベーリックホール | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

(つづき)

さて「ここは何度も来ているけどー・・・」
と思いながら入ったベーリックホールだったのですが、



これまでただ 部屋を「きれいー」とながめるだけで ちゃんと説明板など読んでこなかったものですから 改めての訪問で色々知る事ができ 面白かったです。

例えば 1930年にこの屋敷を建てたベーリック氏は 25才で来日したロンドン出身の貿易商でしたがー 
後にフィンランド領事に就任し、ここで執務を行った~ そうです。(へー) そして戦争が近づくと家族でカナダに移住、その地(バンクーバー島のヴィクトリア)で亡くなっています。(へー)/ 尚、一緒にカナダへ渡ったガートルード夫人は横浜は神奈川区生まれの方だそう。どんな方だったのかな?

↑又 建築についても漠然と「スパニッシュ様式というものらしい」位にしかわかってなかったのですがー
あの花の様な窓は「Quatrefoil(クワトル・フォイル-四葉型)」というもの、壁の仕上げ方は「Stucco(スタッコ)」という凹凸をつけたもの~ など色々学べました。(この後も 館内であれこれ~ って 詳しくは公式HPの「館内の見所」等をご覧下さい。)


アラベスク~なアイアンワークの美しい扉を抜けてー

中へ。

↑まず現れる白黒の市松模様の床。クラシカルかつモダンですよねー。

エントランスホールから右(東)へ折れると、

よく演奏会などの開かれる ホール があります。

↑暖炉が設置された広間。 天井に渡した太い化粧梁は イギリス風?


ホールの北には パーム・ルーム と呼ばれる細長い空間があります。

大きなガラス窓が並ぶ部屋は 普通南側に作られるものですが、この部屋は北向き_。「?」。ですが、実はこの邸宅が建てられた当時はここから横浜港が見えた、のだそうです。(暑い日本では 北向きの 眺めの良い場所 もゲストのもてなしによいものだった?)


↑かつては獅子の口から水が流れ「憩いの場」に趣を添えていた事でしょうね。(パーム・ルームというのだから丈の高い椰子類の鉢が置かれていた、のかな?)

エントランスの西は 

西の壁側に暖炉を持つ ダイニングルーム。

(↑↓ここも天井に化粧梁がー)

(↓これは「アルコーブ」と呼ばれる壁の「窪み」なのですが、こうしてピッタリサイズの細長テーブルを置いていると なんだか日本の床の間や違い棚のようー。)


ダイニングの裏はパントリー。



(↑沈香壺でしょうか。 これ いいねえー・・・)

二階へ上がりましょう。






(↑二階の廊下)

西の部屋は子供部屋。(実際のベーリック氏の子息は この館ができた時すでに20を過ぎていたのですが、 あえて「子供部屋」として復元している、との事_)





(↑子供部屋の、バスルーム。)

↓応接間風に作っていますが、ここは 元々はゲスト用ベッドルーム、だったそう。

↓ゲスト用バスルーム。


↓主寝室。でしたが 執務室風に復元している との事。





↓夫人のベッドルーム。

鏡台を置き 婦人部屋の雰囲気 になっています。

↓東には 陽当たり 風通しの良さそうなサンポーチがついていました。



↓夫婦それぞれの部屋の間に作られたバスルーム。


1Fへ下ります。

↓エントランスホールから見た玄関。


改めて_
素晴らしい建物ですね。

ここは1956年にベーリック氏の遺族によって カソリックの「マリア会」に寄付され~ マリア会が運営するインターナショナルスクール「セントジョセフカレッジ」の寮となっていました。
セントジョセフは 1985年までは男子校でしたからー(←因みに著名な卒業生にはGHエリック 岡田眞澄兄弟などもー) ここ(現・ベーリックホール)にいたのも 男の子達だったはず。 優雅な寮での生活って どんな感じだったのかなー?

2000年にインターナショナルスクールは廃校になり、寮は マリア会から横浜市に寄贈されます。 建屋は修復工事が施された後、2002年より「ベーリック・ホール」として一般公開され現在にいたっていますが_ コンサートやリサイタルの他 おしゃれで個性的な結婚式や披露宴会場としても使われるベーリックホールの「来し方」を思うと しみじみ しちゃいますね?




おしまい。