港の見える丘公園の「イギリス館」 | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

では「イギリス山」の「イギリス館」へ入ってみましょう。





(↑入館 無料~)

⇒ 公式サイト

⇒ 間取り図-PDF

館内をくるくる回ります。



(↑ホール。天井が高く なんだか自分が小さくなったような気分になっちゃった...。)
(↓ホールの西のサンルーム。/英語表記はSUN PORCH)

(↓配膳室。)


↓二階へ。



展示室/Gallery。//元々は「ゲスト用の寝室」だったそうです。




復元室/ Bed Room。





集会室/Meeting Room。


東の休憩室/Rest Room。(元は御手洗だったのかしら?)



西の休憩室/Sleeping Room。(主寝室の隣のこの場所は 暑い日本の夜をやりすごすのに必要だった?)


↑船の窓を思わせる丸窓は 二階の東西に一つずつあるので_ メイン棟を南の庭側から見ると二階の窓は 左右対称に 「〇□□□〇」 と並んでいます。どこか「工業デザイン」っぽいモダンさがあって面白い~ んですが 撮り忘れました。

一階へ。


(詳しい事は公式サイトその他をご覧頂きたいと思いますが~)
イギリス館は 旧英国総領事公邸。昭和12年(1937)にこの場所(←幕末のイギリス第20(Twenty)連隊の駐屯地- 通称「トワンテ山」。これが後に「イギリス山」と呼ばれるようになった~そうです) に建てられました。 / 因みに英国領事館の建屋は 今の 横浜開港資料館・旧館、になります。領事は毎日 ここからご出勤だったんでしょうね。

戦争が始まるとイギリス人 アメリカ人など 日本にいた敵国人は「抑留」されました。(事前に自国への帰国が促されていますが それでも全員が帰国できた訳ではないんですね。)
海辺の領事館は日本に接収されましたが、大使館員を含むイギリス籍の「抑留対象者」は イギリス山の領事館に収監されたそうです。
(興味深い事に_ 当時のイギリス人 には「カナダ人 オーストラリア人」は含まれ、「インド人 マレー連邦人 ビルマ人」は含まれなかった~ そうです。/ この 差別 は、抑留されなかったととらえるべきなのか 保護されなかったととらえるべきなのか・・・)

戦争が終わると 立場は逆転。
日本は占領され~(中略)
日本の一般市民がこのイギリス館へ入る事ができるようになるのは1962年に「港の見える丘公園」が出来て~ 更に’69年に 総領事がイギリスに引き上げて土地と建物が競売にかけられ それを横浜市が買い取り 公園の施設として整備して後~ になります。
(少し余談ですが 隣のフランス山のフランス領事館の土地は1971年までフランスが所有していたそうです_)


見学_ おしまい。



しかし ああ、大切なものを見落としていました。/ 公式HPによると_ 入口近くにジョージ6世を示す「ロイヤル・サイファー (Georgius Rexの”GR”と”VI”を組み合わせた図柄)」があったのだそうです。/ 今度行ったら(いつ?)ちゃんと見ようと思いますっ。