白髭(シラヒゲ)神社の奉射祭(ブシャサイ) | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

七日の朝は、七草がゆを大急ぎで食べ
_小田原市の無形民俗文化財に指定されている奉射祭(ブシャサイ)が開催される、小船の白髭神社へ向かいました。

(↑途中、曽我丘陵の田島から見たこの日の富士山)

↓「下中駐在所前」バス停横から_


(↑角の玉垣の内には「護国之英霊」と彫られた忠魂碑が立てられていました。)
↓_坂を東へ下ります。

あの 玉垣に囲まれた所が神社みたいですね?

↓あれ?垣に何か貼紙が。


↑「どんど焼き(団子焼き)のお知らせ 日時1月14日(日) 午後4時~6時 後略」 ですって。 へー このエリアではどんど焼きの時にお団子も焼くのね? 楽しそう!

坂を下りきった所に鳥居。


鳥居右には「郷社 白髭神社」と彫られた社号標。

左に由緒書。

↑「白髭神社
 この地域の総氏神であり、祭神は猿田彦命である。
鎌倉時代初期の記録によれば、もともと地蔵堂があったが、その後伊勢神宮の神官広瀬入道実応が諸国行脚の際に、その地蔵堂に宿したところ、白髭の夢を見た。そこで、御神像を彫り、社殿を造営して西暦877年9月9日に盛大な鎮守祭を行ったのが、白髭神社の起源とされている。
 その後、社殿も荒廃してしまったが、現宮司 中村氏の祖が、近江国滋賀郡にて白髭の悪夢をみたことをきっかけに、再建した。また、源頼朝から神領を寄進されるなど、武将から敬われた。
 なお、毎年1月7日に行われる奉射祭は、五穀豊穣を祈る新年の古行事として小田原市の重要無形民俗文化財に指定されている。」
(↑青字はWikiからの補足)

由緒書の上、には_

↑「盡忠報国」と彫られた石が。/揮毫者は「山縣有朋」だそうです。

石段を上がると左手に手水舎。

龍の吐水口がついていましたがー


水は止まっていました・・・。

右手には 大正天皇の即位を記念して 社殿が改築された事を記した碑が。


↑刻まれた文字は「久而敬恭」、揮毫は徳川頼倫(ヨリミチ/紀州徳川家当主 貴族院議員。東京帝大に南葵(ナンキ)文庫を寄付なさった方。/因みに南葵文庫建屋は現在熱海の 星野リゾートの別館ヴィラ・デル・ソルになっています。)

この石碑の右下に 引退した水盤が置かれていました。

↑卍はお寺のマーク?それとも富士講が寄進した物かな?
(帰ってから調べたら、白髭神社の社殿裏手には富士講が寄進した石造物があった事がわかりました。見落としたー!残念。/とそれはともかく この水盤の卍は「村上光清の富士講」のものである可能性、あるかも ですね?)

石段を上がり切った所にー



大正8年に改築なった という社殿。(ただし彫刻の大部分は享保十八年に造営された当時のもの~ との事。)


↑鈴。
「ごあいさつ」
↓ん?お賽銭箱の向こうに 魚?


↑かと思ったのですが これは実は 椿の木で作られた「ツバメ」と呼ばれる鳥形オーナメントなのでした。

拝殿内には 他にー

↓社号の額、

↓幟、太鼓、鏡、

↓的、等が。

(↑この的は ちょっと「独特」ですよね。普通の的は「輪」が書かれていますが、これは「16周のうずまき」。どんな意味があるのかなあ?)

社殿を回ります。

↓拝殿裏手には神殿部。(覆い屋がかけられていました。)


境内西には鐘撞堂。

(尚、白髭神社は江戸時代までは「白髭大明神」と呼ばれており、お堂には本地仏としてお地蔵様が祀られていたそうです。)


↑撞木(シュモク)には神紋の三つ巴が付いていました。

境内東に神楽殿。


↑その前に 上で一つに縛られた三本の棒(三脚)。

10時。神事が始まりました。
神職さんと狩衣姿で弓矢を手にされた二名の射手さん(←地元の小宮家の 本家・分家のご当主が代々お務めだそう)が拝殿へ入られます。


中からは太鼓の音 続いて神主さんが上げられる祝詞が聞こえてきました。


的が運び出されます。



的は神楽殿前に設置されていた三本の棒にたてかけるようにして置かれー

そこに神主さんが「つばめ」を三つとりつけました。

(つばめ はてっきり、的が風にあおられてふらふらしないように付けられる風鎮のようなものかと思ったんだけど・・・このとり付け方を見るにー 飾り みたいですね?)

↑もしかしてこれは 米を食べる鳥に矢を射かける~ という所作が儀式化したもの? / かと思ったのですが 後で読んだプリント(←境内で見学者に配られたもの)によるとこのお祭りは「文治6年(1190)1月7日、豪族中村忠直公が「毘沙之的を射る式」を奉納したことが起源」だそうですー。

神職さんの挨拶に続き、

前小田原ガイド協会会長-榎本保美さんから この神事の歴史その他のレクチャー。

そしていよいよ 奉射。

射られる矢は 全部で7本。
まず本家の当主が射手となって3本矢を放ちます。
 射る前に、分家の当主が 的迄の半分程の距離の所で米を左右に撒きます。(「御散米(オサンゴ)」と呼ばれる清めの所作ですが 鳥をおびきよせているように思われてなりませんね^^;)
↓続いて役を交替し、分家の当主が射手となって3本。


↓最後に本家の当主が もう一本。

今年は 計7本のうち6本が当たったので「去年を上回る上々のでき」が予想される~ との事。
誠におめでとうございます!
(因みに去年は5本命中したそうです。/ 射手さんたちのご精進のたまもの!)


奉射が終わると 子供達が「つばめ」を取り合う「的やぶり」が行われます。


↑戸口に下げると 無病息災のご利益があるという「つばめ」の取り合いには 昔は大人も参加していたそうですが、今は安全を考慮し「子供だけ」の行事にしているとの事でした。


神事が終わると 参列者のお参りが始まりました。

並んだ人には「つばめ」が渡されるというので 私達も もう一度お参りしちゃいましたー。


↑配られた「つばめ」は 境内の椿(ツバキ)の木で作られる~ そうです。/ これだけの量を用意するのは 大変だった事でしょうね。
↓頂いた「つばめ」たち。

↑可愛らしい^^)
話ちょっとそれますが_
伊勢の二つの一宮「椿大神社(ツバキオオカミヤシロ)」「都波岐(ツバキ)神社」はどちらも御祭神が猿田彦、そして社号がどちらも「つばき~」。 / 猿田彦(白髭)と椿って 何か関係があるのかな?




いやいや~
素朴で 伝統的で お目出度くて
新春にふさわしい 
よいお祭りでした。




<おまけ>
境内で配られたプリント。

↑榎本さんのお名前で出された文。神社の歴史や お祭りの由来などが詳しく書かれているので 興味のある方は是非お読み下さい。(+/ 神社の由緒書の「伊勢神宮の神官」が プリントでは「実応」と載るなどしているので 由緒書とあわせてご覧になるのがよいかな?)
↓裏面には 境内の石碑「久而敬恭」について記されていました。



<余談>
この後はバス道を少し北へ歩き、


「めんたつ」で味噌ラーメンを食べて帰りました。


(あら?めんたつさん、チャーシューちょっと変えました?)

おしまい。