
↑蕎麦屋のはつ花-新館前を通り_(この日はお休みでした)

(↑はつ花横の 早川と須雲川の合流地点。向こう岸に建つのは「河鹿荘」。)
↓カレーの「心」さん前を通りー・・・


(↑トイミュージアムから譲られたというロボット、まだ元気だったー。懐かしいなー。)
- シーン抜け -
旭橋のたもとへ。

(↑右手の板壁、ますとみ旅館さん。)


(↓旭橋から眺めた 下流の湯本橋。橋の上(?)に さっき前を通った はつ花-新館が見えます。)

川上側へ。

橋の親柱前に建つ ますとみ旅館。



お正月らしい設えが「いい」ですね^^)
道なりに行くと_
湯本で最古の源泉を持つ 日帰り温泉「和泉」があるのですが・・・
そこの駐車場の隅_ 鎌倉古道の崖下に横穴式の源泉跡を見る事ができます。(いや、この日 初めてそうと知りました。)




↑なるほど、深く掘り下げる技術の無い時代の温泉って 「横穴式」だったのかー。です。
↓説明板。

さて その先にー

↓函嶺洞門(カンレイドウモン)があります。

(因みに、「函嶺」_の名は「函根(ハコネ=箱根)の嶺(ミネ)」からとられています)
昭和6年(1931)に 山からの土砂で道が埋まる事を防ぐために造られ 長く活躍してくれた函嶺洞門ですが、
迂回路が完成した平成26年(2014)に「引退」し 以降はフェンスが設置されて見学すらできない状態になっていました。
がー今年「10年ぶり」に ほんの数日ながら 公開 されたんですねー。

(↑あれ? なんだか 綺麗になってますね? 高圧洗浄機でもかけたのかな? 以前はもっと茶色っぽかったもの。)

ここバスのすれ違いが困難で 渋滞の原因 と呼ばれる場所だったんですよねー。

しかし 土木の観点からは「レトロ」な味わいがあって素敵で 車はともかく 人は通ってもいいんじゃありません? (今回みたいな「一時公開」ではなく 遊歩道 にしてしまえばよいのになあー)
(↓引退して10年。すでに電気も外されていたらしく、この時のライトは 脇の「発電機」でおこした電気でつけてました。)


(↑めっちゃ目立たない場所に「近代化産業遺産」のミニプレート。)
山側にパネルが展示されていました_。





(↑二つ前の地図では上が北だったのに この図では 北が下、こういうのわかりにくくて困るなー。/上を北に揃えて欲しいわー。)

↓川側。


張り出したテラスの様な部分は 元々は歩道でした。今回は歩かせてもらえませんでしたが 安全面での不安要素かなにか あったのかな?
↓そうそう 中ほどの柱に ひびが入っていました。


↑「昭和5年(1930) 洞門建設中に発生した北伊豆地震により生じた洞門のズレ」ですって。 (洞門の完成は昭和6年ですから その前年に「ズレ」たんですね? しかし修復しないで そのまま完成させちゃって・・・ よかったんですかね? ま、実際今もほぼ問題なく立っている ようにも見えますがー)))
洞門を 抜けたところに_




お地蔵さんがおいででした。


↑以前から気になりながら 近づけなかったお地蔵さんなので やっとお目にかかれ ちょっと感動ー。(合掌)
(尚 このお地蔵さんは 大正12年の関東大震災の折 この辺りでがけ崩れに遭い落命された犠牲者の鎮魂のため建てられたもの、と聞いています。)
さてこのお地蔵さんより もう少し川上側に パイプの足場がありました。


↑何だろう? (1/2日+3日に行なわれた)箱根駅伝のカメラ用の足場かな?(わからずじまい)
引き返して~

洞門を抜けたところの道路脇に こんなタンク(?)がありました。

(洞門とは関係ないのですがー)
↓気温が下がると自動で薬剤を道路に撒く~「液状凍結防止剤散布装置」ですって。

↑洞門前から対岸に架けられた「函嶺さくら橋」「函嶺もみじ橋」は金属製で 普通の凍結防止剤では 錆び てしまうため、この中には 金属に影響のない「酢酸系の液状凍結防止剤」が入っている んだとか。/ へー。

↑道を渡り、フェンス越しに も一度「液状凍結防止剤散布装置」を見たところ。
この後は川沿いの道を歩いて 湯本駅の方へ向かいました。



_つづく
<おまけ>
二年前の洞門あたり_。