稲毛公園 | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

さて、稲毛神社にお参りした後は 隣接する稲毛公園を歩きました。(白状すると 単に川崎駅へ戻るのに通り抜けしただけですが)


(↑奥に見えているのが 稲毛神社の南の丹塗りの鳥居)
(↓西側を見たところ_)

ここに 「旧六郷橋 親柱」 が保存されていました。



↓説明板。

↑「旧六郷橋親柱再現整備の由来
 徳川家康は、東海道に宿駅伝馬制度を敷く前年の1600年(慶長五年)に六郷大橋を架け、以来再三に亘る修復や架け直しが行われたが、1688年(貞享五年)の大洪水で流された後は、明治に入るまで架橋することなく渡船場が設けられ、船で川を往来するようになった。
 明治に入って以降、1874年(明治七年)左内橋、1883年(明治十六年)に六郷橋が架けられたがいずれも大洪水で流出した。
 旧六郷橋は近代化が進む時代に即応した陸上輸送の強化を目的に「陸路の帝都の門」として1925年(大勝十四年)鉄構造のタイドアーチ型橋梁として架けられた。その後、1984年(昭和五十九年)に現在の端に架け替えられるまでの約60年間、第一京浜国道(一般国道15号)のランドマークとして活躍してきた
 こうした歴史と役割を果たしてきた旧六道橋は、川崎の隆盛を築き、偉大な功績を残した。また、その親柱は、優美な姿で旧六郷橋の川崎川橋詰に鎮座し道行く人々に親しまれてきた。
 輝かしい二十一世紀に入り、川崎区誕生30年を迎えた機会に、住民の発意と川崎商工会議所、国土交通省、川崎市の尽力によって、その親柱一対を近代化遺産に位置付け、住民によるまちづくりのシンボルとして幾久しく保存活用される事を祈念して、ここに再現整備する
 2002年(平成十四年)11月16日
  旧六郷橋親柱再現整備実行委員会」
↑へー。
調べてみると、東京側の親柱は大田区仲六郷の「宮本台緑地」にある、とわかりました。更に、宮本台緑地には「橋門」も保存されている、そうです。(知らなかったなー)↓


色んな事を学べましたー。


<おまけ>
帰りにもう一度歩いた陸橋「ハローブリッジ」。 路上タイルに「椿」の意匠が使われていました。



椿は「川崎市民の木」、なんですって。
ついでの事ですが「市民の花」はツツジだそう。
へー。
なるほど、それでマンホールの蓋には 椿とツツジの意匠が使われていたんだー。


川崎に「1」詳しくなっちゃった^^)