足柄明神社 | (又)おだわらぐらし はじめました

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「新しい日常」を綴って参ります

大雄山に続いては 足柄峠へ上がり 先ごろ新しい鳥居が奉納された~ という足柄明神社(アシガラ ミョウジンシャ)へ行ってみました。

(↓丁度県境なんでしょう、地名を知らせるプレートは こっちから見ると「静岡県小山町」、あっちから見ると「神奈川県南足柄市」になっています。)




道脇に説明板。

↑「足柄明神社のご案内
 ここ南足柄市矢倉沢字(アザ)明神は、1500年以上も昔から足柄の開拓者たちが足柄明神を産土神(ウブスナガミ)として祀ってきた元宮の地です。
 足柄明神は、『古事記』によると、東国平定の帰りに食事をしているヤマトタケルノミコトを、白い鹿になって襲って打ち殺された坂(=峠)の神です。坂東人(バンドウビト・関東地方の人)の誇りを守った古代の英雄なのです。
 『国名風土記』の足柄明神は、亡き妻の鏡に相模(さかみ)を見る愛妻家で「相模国(サガミノクニ)の起源だと書いてあります。
 『梁塵秘抄(リョウジンヒショウ)』等によると、足柄明神の神楽歌「足柄十首」は、巫女(ミコ)であった坂田金時(金太郎)の母たちによって伝えられ、八百年ほど昔、後白河天皇ものどをつぶして練習・伝承されています。
 今あります足柄明神の石祠は、1873年(明治六年) 矢倉(現-足柄)神社が、足柄明神を祭神から消して、ヤマトタケルノミコトと入れ替えたので、氏子から抜けた田代静平ら矢倉沢村の人びとが、足柄明神社を再建し護持して来たものです。(補足/ 現在、苅野に建つ「足柄神社」の御祭神は 瓊瓊杵尊と日本武尊 になっているそうです。)
 またここは、足柄城の明神くるわ跡で、ランドマークタワーから房総・三浦半島、江ノ島・酒匂川・大涌谷・金時山までの旧五か国を車椅子でも展望できる景勝地です。そばに天然記念物級の金太郎赤松もあります。
 以上のように、足柄明神社地は、足柄の史跡・景勝地であります。しかるに足柄万葉公園からも外れ、森の陰で眠らされていました。
 わたしたちは、先人が護ってきた足柄明神を知っていただくために境内(国有地)への入口(五か市町組合地)に紅白の鳥居と案内版を建立しました。
  2010年8月 足柄明神の鳥居を立てる会」

↑2010年...13年前に立てられたという紅白の鳥居ですが、木製ですでに傷みが目立ってきていたらしく_
↓今月12日、新しい鳥居が奉納されたんですね。(今年は 足柄明神がここに再建されて150年という節目の年だという事もあった_ といいます。)


↑鳥居の扁額には「足柄明神」の文字。

鳥居の先を道なりに進むと 明神社があります。


脇の説明板。

↑「足柄明神跡
 足柄明神は日本最古の歴史書である『古事記』に記述があります。倭建命(ヤマトタケルノミコト)が東国征伐へ向かった時、足柄峠で足柄明神は白鹿の姿で現れ、倭建命によって蒜(ヒル)で打ち殺されたことで東国が平定されたとあります。
 足柄明神は、天慶三(940)年に創建されたとされ、後に矢倉岳に遷座し、矢倉明神という名前になりました。 時期は定かではありませんが、苅野に移転し、足柄上郡十八ケ村の鎮守となりました。そして昭和十四(1939)年に足柄神社となりました。
 現在ある石祠は明治六(1873)年に足柄明神を祀るために建てたものです。
  平成二十一年三月
   南足柄市教育委員会」

更に。
祠の隣には 2015年5月に「開眼式」が行われたという 白鹿の像が。


(↑笑顔がかわいい^^)

しかし そうかー
白鹿(=足柄明神=産土神)は 足柄の人々にとって「敗れたとはいえ ヤマトタケルに果敢に挑んだ祖先」の象徴なんですね? (明治に入って明神社の祭神が (こともあろうに) ヤマトタケルとされた~  事に納得できない方々があった事 無理ありません。) / 色々 なるほどー でした。


<おまけの紅葉>
「金太郎の大もみじ」

足柄峠から東へ下ると見えてくる 大きな楓の木です。(万葉うどん の北あたり)

ランドマークにもなっている木ですが、「金太郎の~」という名前がついているのは この日グーグルマップを見るまで知りませんでした。



覚えましょう^^)