馬車道あたり | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

関内駅から「馬車道」を歩いて 神奈川県立歴史博物館を見、荒井屋万国橋店でお昼を食べた後は、 「汽車道」を歩いて ランドマークタワーの下の 帆船日本丸 を目指したのですが、どうせなので(?)道すがら 撮った絵を貼っていきます。

まずは馬車道から。

馬車道のゲイト。

馬車道は元々は「吉田橋(伊勢佐木町商店街入口前 に架かっていた橋)から海」を指していました。今は エリア名として もっとざっくりした使われ方もされていますが 「馬車道通り」としては このゲイトから 地下鉄「馬車道駅」のある本町四丁目交差点 までの事を言います。
ガス灯プロムナードについてはこちら⇒を。


↓街灯のフラッグバーでなびいているのはヨコハマ・ベイスターズの旗。

(大洋ホエールズファンだった亭主は 今も「好きな球団はヨコハマ」です^^;)
↓関内ホール。

↓この赤いゼロのようなオブジェはマルタ・パンの『平和 Ⅰ』だそう。(へー)


さて この辺りは「馬車道」という名前からもわかる通り 文明開化の玄関口で、明治5年に日本で最初に街灯としてのガス灯が設置されたのも馬車道周辺~ だそう。(正確には 大江橋から 馬車道 元町に掛けての道、とか)

今あるものはもちろん復元されたもの、ですがー



↑それでも なんと 本物の「ガス灯」です。
(時に_ ガス灯には色んな形がありますが、関内ホール入口前に立つこのガラス部分が球状のものはイギリスの国会議事堂北西部に立つ物を同じ、だそうですよ? 

本当かな?とストリートビューで見たら、本当でした。ビッグベンのすぐ西脇。フェンスの内側なので見にくいけど「あった!」でした^^)↓


横路にそれてすみません_
↓デモ用に灯された関内ホールの角のガス灯。


↓ガス灯が描かれた絵(バックに今の「県立歴史博物館」の屋根が見えます) と 説明板。


↑「日本で最初のガス灯
 安政6年(1859)に開港場となって以来、横浜は西洋文化の玄関口となりました。馬車道を起点にして全国に拡がったものも数多くあります。
 ガス灯は、明治5年(1872)に高嶋嘉右衛門の「日本ガス社中」により、馬車道、本町通り等に設置、点灯され、これが日本における最初のガス灯となりました。柱部は英国グラスゴー市から輸入し、灯具は日本人職人により製造されたと言われます。
 このたび、横浜市市民文化会館〔関内ホール〕新築完成を祝って、当時の型をモデルとしたガス灯を復元設置しました。
 壁面レリーフは、横浜開港資料館所蔵の絵葉書を転写したもので、明治末期の馬車道です。
   昭和61年9月27日
    馬車道商店街協同組合」

おまけとして_
この辺りは歩道も赤レンガが敷き詰められ ガス灯や馬車が描かれたタイルが嵌められています~。




ホールのすぐ隣に パパバブレっていう飴屋さんがあった。


お店の前のパネルに 金太郎飴 かぼちゃバージョン の制作過程動画 が映ってて しばし見入ってしまいました。

↑切っても切ってもジャコランタン^^)

平安堂薬局前に二つ目のゲイト。

県立歴史博物館の丸屋根が見えてきた。

おや、歴史博物館手前の損保ジャパンビルの向かいに・・・


↑何でしょう、これ? と思ったら↓

下岡蓮杖の顕彰碑でした。/へー蓮杖さん、横浜で写真場を開業し 門下生を育てた、んですね。(顕彰碑って大抵 その人の肖像画が添えられると思うのだけど 写真家蓮杖さんのお顔のわかるものはありませんでした。(そうそう、生地 伊豆下田の蓮杖さんの顕彰碑横には蓮の杖を持つ蓮杖さんの胸像がありましたっけ_⇒

でこの後は 県立歴史博物館で「足柄の仏像」展を見~

その先の荒井屋万国橋店で牛鍋を食べた~

のでございました。

_この続きの絵は 次の項に貼る事にいたします。