大久寺(ダイキュウジ)で雅楽のミニライブがありました(8/22)  | (又)おだわらぐらし はじめました

(又)おだわらぐらし はじめました

 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

22日の午後は 板橋(住所的には城山四丁目)の大久寺で「おだワクマルシェ」+音楽イベント(雅楽の演奏)がある~ というので(お寺のインスタで知りました) 伺ってみました。


(↑国道一号線側の入口から伺います。)

右の門柱。

(↑「日蓮宗 大久寺」尚 山号は「宝聚山」)
左の門柱。

(↑「小田原藩主 (前期)大久保家菩提寺」/ 補足-後期大久保家初代となる大久保忠朝は天台宗に改宗したので 以降の菩提寺は世田谷区の教学院、だそう。)

↓門脇のお知らせボード。

(↑「3時半から きてね!」
 ↓「雅楽の夕べ&ワクワク夏まつり」)


短い参道の先_ 小橋を渡った先に門。

↓小橋の下を流れるのは小田原用水です。

↓門の脇の説明板。

(↑「大久寺は宝聚山随心院と号 法華宗(現在は日蓮宗)の寺で、小田原大久保の初代七郎(=大久保 忠世/タダヨ)を開基とする寺である。
 天正18年(1590)小田原合戦に、徳川家康に従って参戦した遠州二俣城主大久保忠世は、合戦後 論(功)行賞によって小田原城4万5千石が与えられた。この時忠世は日頃から帰依していた僧 自得院日英を二俣から招請し、しばらくは石垣山三の丸(古称聖人屋敷)に仮住いでいた。そして忠世が開基となって寺の建設をすすめ、翌天正19年堂宇が完成すると、日英を開山とする大久保家の菩提寺とした。
 慶長19年(1614)二台相模守忠隣(タダチカ)の時、大久保家が改易になると寺も衰退したので、寛永10年(1633)石川主殿頭(トノモノカミ)忠総(タダフサ)(忠隣二男・石川日向守家成養子)が大久寺を江戸下谷(シタヤ)に移した。その後、大久保新八郎康任(ヤストウ?)が石塔、位牌を戻して大久寺がこの地に再建された。
 墓石は正面右から小田原大久保氏三代加賀守忠常、二代相模守忠隣、藩祖七郎右衛門忠世、勘三郎忠良((忠隣の子)忠勝五男)、五郎左衛門忠勝(常源忠俊の子)、常源忠俊(忠世の伯父)、忠良の娘の墓で、これらは前期大久保氏一族の墓所として小田原市の史跡に指定されている。
 大久保氏の墓所は、法華宗陣門流の大本山 京都の本禅寺、愛知県岡崎市の長福寺、東京青山の教学院にもある。(補足/ 後期大久保家の菩提寺教学院は明治の末に青山四丁目から世田谷区太子堂に移っています)」 

境内に入ったところ_。

(↑箱根登山鉄道線を小田急の電車が走っています。/その奥はJR東海道線の線路。/という訳で 結構頻繁に電車が見られますー。)

↑客殿前に消防団の車輛。

本当は境内で「青空市」的に模擬店が並ぶ~ はずだったようですが 急に雨が降ってきたので あれこれ が屋内に運び入れられ始めました。


部外者の我々は 南の本堂の方へ。

↓屋根に大久保家の紋「あがり藤に大」。

↓東を向いて建つ本堂。

(↑樋の水受けにも「あがり藤に大」)
本堂は「音楽イベント」の会場のようですが (イベント時に)お堂の中まで入れるかどうかはわからないので、お参り方々「今の内に」と中を拝見。

↓扁額の文字は山号、「寶聚山」。

↓ご挨拶。(お賽銭箱にも大久保家の紋)

上がらせて頂きます。

内陣にはすでに雅楽の楽器(打ちもの)が置かれていました。


脇間に展示されていたもの_。

↑「平成元年に篤信の檀信徒より奉納された本堂内陣中央の天井から吊るされていた天蓋」と「明和六年(1769)に本堂を建立した際の棟札」だそうです。(天蓋は 「耐震を考慮し 降ろして展示することといたしました」との事。)
↓以前天蓋が掛けられていた~ という内陣の天井。

(↑中央の 鳳凰の絵の下 に下がっていたそうです。)

本堂の南側。



↑「本堂古瓦」だそう。/立体的で立派な波!

3時半になりました。 受付開始です。 入場料300円を納めましょう。



↑リーフレット。

屋内に会場を移されたマルシェではー
↓お菓子、

↓パンが売られてました。

↓客殿入口には 飴細工のお店。



↑今作っているのは兎。(この兎は確か この後の じゃんけんゲームの賞品になった ようなー)
↓展示されてる完成品達。


↓今の子供たちにはかえって新鮮? な駄菓子コーナー。


↓大人にはビールも販売されてましたよ。


↓私はかき氷を頂きました。


(↑ノスタルジックに「みぞれ」だよ~♪)

もうすぐ4時。音楽イベントが開かれる本堂へ入ります。

↓厳かにして華やかな内陣へ 直衣姿の演奏グループの方々 ご入場。(撮影+録画録音OK、SNSへのUP、OK との事でしたので ぼかし無しの写真を上げさせて頂いております。)

↑管 三種、左から龍笛(リュウテキ)、篳篥(ヒチリキ)、笙(ショウ)_の方々入場。
↓続いて 打ちもの 三種、左から 鉦鼓(ショウコ)、吊り太鼓、鞨鼓(カッコ ←指揮者も兼ねているそう) の方々。

演奏者のうち 笙を担当なさっているのが 大久寺の副住職 小林さんで_

小林さんは司会と進行、更に雅楽に対するレクチャーもして下さいました。

(楽器の説明をなさっているところ_)

(↑篳篥。 ↓龍笛。)


演奏された曲目は_
越天楽(エテンラク)、
酒湖子(シュコシ)、
抜頭(バトウ)、の三曲でしたが、 雅楽では曲の頭に 序奏のような「音取(ネトリ)」が奏されるので 全体としてとても変化に富んでいて面白かったです。 (個人的には 最後の抜頭、が特に興味深かった。これは夜多羅(ヤタラ)拍子という 五拍子の曲 で、吊り太鼓が「2+3」とリズムを刻むのですが 小林さんの説明では「舞楽」でもあるとの事でした。 「五拍子で踊るって難しそう~! (でも帰ってネットで検索したら 抜頭で舞う動画 がヒット。驚いたり 感動したり。 )


_さて そろそろ おいとま いたしましょう。

↓客殿前は 飴をかけたじゃんけんゲームで盛り上がってました^^)

賞品GETなった子、おめでとう!


ありがとうございました。

おしまい。