23日は、高井純子先生(藪内(ヤブノウチ)流)が松永記念館の茶室にかけられるお茶の席へ伺いました。
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(↑午前中に開かれた正式な茶会ではなく、 午後の 茶道未経験者OKの「五感を楽しむ茶会」、の方へー)
(↑ポンプのパワー不足とか で 池の水位はただいま「低め」。でした。)
(↑水面から顔を出しているのは ヒツジグサでしょうか?丁度羊の刻がこようとしていました。)
今回使われた茶室は 池の畔の烏薬(ウヤク)亭と葉雨(ヨウウ)亭。まずは受付と寄付に指定されている烏薬亭の方へ伺いました。
(↓何度も来ている~ため 気持ちが緩んでいたか 建屋の写真を撮り忘れましたので リブログでしのがせて頂きます。)
時に_
「何度も来ている~」割には 今回初めて知った、のですが_ ここがなにゆえ烏薬亭かというと 「天台烏薬の木」が植えられているから、なのだそうです。
天台烏薬の木とは_
↑「天台烏薬 / 開花時期:4月上旬。/古くから不老長寿の妙薬として珍重されてきた樹木で、この木の根を乾燥させたものを「烏薬」とよびます。特に中国浙江省の天台山で産出されるものが最高級と尊ばれたことから、「天台烏薬」の名前が付きました。
耳庵(←松永安左エ門。経済人・茶人として有名)自ら植えたものと伝えられており、小田原ではここでしか見られない樹木です。茶室・葉雨庵の附属棟「烏薬亭」[平成3年(1991)築]の名称の由来にもなっています。」
↑と、これは お茶の席が終わってから読んだものでしてー
↓この話を伺ったのは 烏薬亭の茶室で 実際に烏薬(←漢方薬)の入ったお茶を頂いた時でした。(京都の煎り番茶のような ちょっと不思議 かつ 爽やかな風味でしたよ。)
(↑「返来一去風」のお軸、花は「ヒオウギ水仙」)
さて、こちらのお席で 主菓子を頂きました。
↑撫子、ですね? しかしお菓子の名は「常夏」との事。 へー とこなつ? / とここで先生が「常夏は 撫子の古名なんですね。」なんと! (由来は 春から秋まで長く咲くから~ とか。 勉強になりますー)
尚このお菓子は京都の亀屋良長(ヨシナガ)さんのお製で、中にはレモン風味の寒天が入っており意外にも現代的で「さわやか~」でした。
お席を隣の雨葉亭の方へ移ります。
(ご用意下さった路地草履を使わせて頂いております)
まずは待合へ。(待合の絵、無し)
蹲(ツクバイ)を使います。
(お茶にも 日常が戻ってまいりました。)
躙り口から入室します。
涼やかな設えの中で頂く一服。
壁の花入れには白い撫子と紫のは・・・ ベル形クレマチス?(すみません 伺ったのに忘れてしまいました)))
(↑尚この籠は 先生が東南アジアでお求めになったもの、だそうです。/その国では 何に使われる道具だったのでしょうね?)
雨葉亭ではずっと部屋に蹲の水の音がさらさら聞こえて しばし暑さを忘れさせてくれました。 と そんな事に気づくのも 夏らしいと言えば 夏らしい?
この後は 再び 場所を烏薬亭に移し もう一服 頂きました。
↑あら、さっきとは床飾りが変わっています。
↑正面にはお祭りの提灯の描かれた扇子、
↓右手には 出袱紗の上に 瓢の意匠の用いられた螺鈿の香合。
下地窓の前には・・・
(祇園祭の)長刀鉾のちまき!(先生は前日まで京都にいらっしゃったそうですから きっとこれも京都でお求めになられたのでしょう。)
火鉢の横には 緑の塗りの茶箱が用意されています。(この縁を赤く塗った緑の漆塗り~ は「青漆爪紅(セイシツツマグレ)」といい「藪内流好み」なのだそう。)
これは「色紙茶箱」というものでー
「野点など 床の間のない場所でお茶を点てる時に 嵌め込み式の蓋(倹飩/ケンドン)の裏側に「色紙」を掛けて飾る~」 のだそうです。
(ただし 高井先生がお持ちのこちらのものは 蓋の裏に 直接どなたかのお歌が書かれたものでした。)
茶箱の棚には 茶碗、引き出しには 袱紗や茶杓などが入っていました。右下の引き出しの窓が瓢型になっていますが_ 瓢型は 上の「取手」にも用いられていました。
この時のお干菓子は_
↑左が亀廣保(カメヒロヤス)さんの「祇園団扇」。(←団扇には八坂神社の御神紋 二種が描かれています)
右はお製はどちらでしたか、、、祇園祭りの鉾の車輪を思わせる焼き印の入った 麩焼き合わせ煎餅(中に梅)でした。
(涼やかなガラスの器なども 撮らせて頂けばよかったなあー・・・ 見返して_ 茶会 なのに お茶の写真がありませんわー)
「遠い」と思っていた京都に 一時 気持ちだけ旅した~。 そんな 夏のお茶のお席でした。
ありがとうございました。/ おしまい。