
かつては浅間(センゲン)大社の摂社だったそうですが、今は独立した神社になっている、との事。(尚 冨知の 読み は 現在「フクチ」になっているそうですが、『延喜式』神名帳では「フヂ」、なのだそうです。 そしてこの「フヂ」が「富士」に繋がった~ という説もあるそうです。)

冨知の神様は富士宮の地主神で、元々は 今浅間大社の建つ場所に お鎮まりだった、といいます。

屋根には・・・天狗の団扇マーク?(丸に棕櫚~ は浅間の紋だそうですが これはその亜種、でしょうか?)

虹梁の上の彫り物は何だろう?猪のようにも見えるけど 牡丹と一緒だから 獅子、かな_?


扁額の文字は「冨知神社 / 祭神 大山祇命大神(←浅間大社の主祭神-木花之佐久夜毘売命の父神様)」。


(↑点無し「ワ」冠の冨の字が書かれているので とりあえずこの項では この字を使っています。)
ご挨拶
社の中を覗くと 立派なお神輿が置かれていました。
そして 社の前、西寄りの場所には「鉾立石(ホコタテイシ)」が。(「鉾立石」_そうそう、浅間大社の楼門前にもありましたねー?)



↑ググってわかりましたが かつては4月と11月に「福知(フクチ)御幸」という神事があり、浅間大社の神様が 鉾に乗って こちらまでお渡りだった、そうです。(4月と11月というと 浅間大社では山宮浅間神社へ鉾で渡られる神事「山宮御神幸」も行われていたはず。 二つの神事の間には何か関連があったのでしょうか? 調べきれませんでした_)
社殿西側にー、

祠がありますねー。

「三峯神社」です。末社でしょうか。


御祭神は伊弉諾岐大神と伊弉諾冉大神。
社殿南側に 鳥居。その横に手水舎が見えます。(車で境内に乗り入れたので お参りの順番が守れておりません、申し訳ありません。)

手水舎の水は 湧き出すタイプでした。


手水舎から 玉垣の下を潜って 南を流れる川へ下りられるようになってました。


元々はこうして水辺に下り 川の水で手を清めていたのかもしれませんね?

↓水辺から見上げた参道に架かる石橋。

(↑この川は潤井川(ウルイガワ)から取水された「横溝川」。西から東へ 結構な速さで流れてました。)
手水舎の向かいに 由緒書。

写します。
「冨知神社
一、御祭神 大山祇命
一、御例祭 九月十九日
一、境内 2.273平方メートル(687坪)
一、鎮座地 富士宮市朝日町十二番四号
御由緒
御祭神の大山祇命(おおやまづみのみこと)は 浅間大社の御祭神木花佐久夜毘売命の御父神に当らせられます
孝霊天皇の二年に創建され延喜式神名帳にも記載された富士地区三社の一つで由緒のある神社であります
「富士山本宮社記」によると 平城天皇の大同元年(806年)征夷大将軍 坂上田村麻呂が 勅命により東国を平定して帰京の途次 神思に感謝して浅間大神を山宮の地から大宮(←現在の 富士宮市中心部)の現在地に遷座された時すでに祭られていた当社を 立宿(タテジュク)の地に移されたと伝えられています。
当社は大宮の地主の神 鎮守の神 産土の神として 古くからこの地方の人々は篤い崇敬を捧げて祭ってきました。
当社は 本宮と摂社 本宮に縁故の深い神を祭った神社 という強いきずなで結ばれてきました
神主は 福地大夫(ふくちたゆう)と言われ明治の初年までは山田家が世襲していましたが現在は浅間大社の宮司が兼務となっております
平成十年九月十九日 謹 冨知神社総代」
↓橋を渡ります。

↓橋から見た西側。

↓東側。

川の南に・・・ ビル(?)と合体した赤い壁のお堂が見えます。何でしょうね?

橋を渡り、石段を下ります。

↑小さいけれど「橋」が見えますね。今は埋まっていますが、元々はここにも水が回されていたのかな?
↓南へ回ってみると_ 建屋の前に赤い鳥居が立っていました。

鳥居には「稲荷大神」という額が掛かっていますが、地図によると「福地(フクチ)稲荷大神神社」だそうです。

↑又建屋のドア横には「寄り合い処ふくち」という板が掛かっています。神社の衆参所、のようですね? (すると クリーム色の建屋が衆参所を兼ねた拝殿で 奥の赤い建屋部分がお稲荷さん、?)/ 時に、左に「甲子(キノエネ)」と彫られた石があります。「甲子塔」というものらしい・・・。(初めて見ました。)
さてこの「寄り合い処ふくち」の西の壁の際に_

↑「富知神社(フクチジンジャ)」の説明板が設置されていました。
こちらも写します。
「富士宮市 歩く博物館 H西コース⑤
富知神社(フクチジンジャ)
富知神社は、大山津見命を祭神とし社号は不二神社ともいわれ、富士山を祀る神社である。
延喜式神名帳に、富士郡三座、倭文(シドリ)神社・浅間神社・富知神社と記されている。神社の前には「富知神社」と刻まれた天保辰三(1832)の石碑が建っている。
現在の浅間大社の社地が、かつては富知神社の社地であったといわれている。古くから富士山の神を祀ってきた富知神社の社地に、新たに富士山の神(コノハナサクヤヒメ)を祭る浅間神社がおかれ、富知神社が現在地に移されたのではないかと考えられる。
「富知神社」の石碑の近くに、貞享五(1688)造立の地蔵や菩薩立像・甲子などの石像物がある。/富士宮市教育委員会」
説明板にある石碑は・・・

これですね?

祠の方へも伺いましょう。

⇒「福地地蔵尊」だそうです。/ 左が地蔵菩薩、右は観音様でしょうか?(菩薩なのは確かと思われます)
ありがとうございました。
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あの 水が豊かに湧く宮地(現在 浅間大社が建つ場所)に もともとはこの冨知の神が祀られていた~ というのは 本当に興味深い事ですね。/ Wikiその他にあるように_ それまで火山とは認識されていなかった富士山が噴火し 平安に入って祭祀の見直しが行われて、 冨知の神に代わって浅間の神が祀られるようになった~ のかな? (後 私としては 平安時代には「フヂ」だった「冨知」の読みが いつから どのようにして「フクチ」になったのかも知りたいなー。)
この後は 浅間大社が元々祀られていた場所、という「山宮浅間神社」へ行ってみました。/ つづく