
(↑前の項にも打ちましたが 富士山世界遺産センター横の鳥居は 浅間大社の「一の鳥居」です。)
↓鳥居を潜って道なりに進むと

神田川のほとりに出ます。



神田川の水は 直接的には浅間大社の湧玉池(ワクタマイケ)から流れていますが、その大本は 富士の伏流水だそうです。
お宮横丁、を抜けて行きましょう。


(へー 地元では浅間大社は「おせんげんさん」って呼ばれているんですねー?)

↓よこちょへ入ると ちょっとNOT WELCOMEな雰囲気が漂ってましたが^^;?

ひるまずに進むと_

昔ながらの土産物屋の並ぶ通りを再開発で新しくした のかな? な 不思議に曲がった道に出ました。

富士宮焼きそばのお店も数軒並んでいるー。

_ここは帰りに又寄りましょう。(予告/焼きそば食べます^^)
お宮横丁を抜けると、いきなり 神社の前に出ました。

(↑手前の一対の大灯籠はゲイトの役もしているようですね?)
では お参りいたしましょう。


二の鳥居、社号標、日の丸、富士山が一枚に。目出度い。(尚、富士山頂上南側には「浅間大社奥宮」があります。標高は3712m。/+頂上の須走側に その奥宮の末社「久須志神社」があるのですが 標高は久須志神社の方が少し高く3715mだそうです。♪とりびあ~)

(左のトラックがちょっと アレ で「ま 帰りに又改めて撮ればいいさ」と思ったのですが、私達が帰る時もまだトラックは止まったママでしたー・・・。ま、こんなのも 景色 という事で^^;)))
↓あれ?社号標の冨士山は「ワ冠だ」...

↓でも鳥居の扁額の富士山は「ウ」冠だ...

どっちでもイイという事かしら?(とりあえず この先 ふじさん があったら冠に気を付けて見る事にしましょう。)
二の鳥居を潜って参道を行くと_


三の鳥居。

鳥居の右手に馬上から矢をつがえる武者。(狛犬さん、逃げてー?)

そして騎馬像の台には「流鏑馬練行之図」のレリーフが。


これは 建久四年(1193)に頼朝が富士の山麓で巻狩(マキガリ)を行った際、浅間大社で「流鏑馬」を奉納した事に因むもの、だそう。(尚 大社では今も5月5日に流鏑馬の奉納が行われているそうです。)
三の鳥居を潜ると 石の反り橋。

橋の下は鏡池。


その先に楼門。

この楼門前の道は「桜の馬場」といい、奉納流鏑馬の「コース」でもあるそうですよ?

(↑境内図。)
楼門前に不思議な石がありました。

「鉾立石」ですって。

「その昔 四月・十一月両度の大祭礼に山宮へ御神幸の際 鉾を立てた石です。」
(『王様の剣 The Sword in the Stone』のような話が日本にもあったのかなと思いましたが、この鉾は お祭の鉾(←神様を移し運ぶもの) とのこと。/ はるばる山宮浅間神社へ御鉾の渡御をした というお祭りは 明治初期を最後に途絶えているそうです。 尚その祭は 元々山宮浅間神社にいらした浅間の神を 坂上田村麻呂が現在の社地にお移しした~ という故事をなぞるもの、だといいます。興味深い事です。詳しくはこちら⇒*)

↑ひびが入っています・・・。これには かくかくしかじか~ な話があるそうな。詳しくはこちら⇒*で。
左手に手水舎がありました。手を清めましょう。




改めて見る楼門。

扁額の文字は「冨士山本宮」(点無し)。

門の向こうに拝殿。

歴史や由緒は古く 又複雑なので公式HPの由緒の頁
_をお読み下さい。
(富士山の噴火を鎮めるため 朝廷の命令で「水徳」のある「浅間大神」を「山足の地(←場所は特定できないそうです)」に祀ったのが始め_といいます。
ただ、社伝では第7代孝霊天皇の御代、富士山が大噴火をした~ とするため 創建が紀元前の話になっていますが、朝廷を慌てさせた実際の富士の噴火は平安初期のものではないか、と言われているようです。
尚、この地には元々「冨知(フヂ or フクチ)」という別の神が祀られており、「浅間大神」は 今「山宮浅間神社」のある場所から「遷座」しています。 「冨知」の神は「摂社-冨知神社」となり、少し離れた場所に祀られている~ そうなので、この後 訪ねる事に_。/この話は別項に綴ります。)
改めて_
御祭神は天皇家の祖神でもある火の女神(←初代天皇のおばあ様、にあたります) 木花之佐久夜毘売命(コノハナノサクヤビメノミコト)。

_という訳で でしょう あちこちに「菊」の紋があしらわれています。

しかし あれー? お賽銭箱には 天狗の団扇の意匠が使われている?

↑スミマセン これは「丸に棕櫚の葉」で 浅間の紋 だそうです!
ともあれ ご挨拶_。

(↑注連縄_太く 出雲大社のものに似ていますが、出雲大社のものは「左本右末」。こちらは左右は逆_ですね?)
もう少し社殿を見せて頂きましょう。

横から神殿部分を見たところ_

わー 高い!
(塀の屋根のせいで「三階建て?」のように見えますが、高床の 二階建て だそうです。)

↓神殿の西には_

浅間第三御子神を祀る「摂社 三之宮浅間神社」、

富士山の浄砂。

東側からも拝見。


_撮り忘れてますが玉垣の向こうに浅間第七御子神を祀る「七之宮」があった_はずです。/ 浅間大社の御子神は 十八柱いらっしゃるといいます。が その内 摂社となっているのは三之宮 と 七之宮のみ。他の御子神は境外に祀られている、のですって。(なぜでしょうね?)
<+>
駐車場脇にあった説明板ですが、社殿についての話なので ここに貼ります。

(↑今ある二階建て(二重楼閣造=浅間造)の社殿を寄進したのは家康だったんですねー。/ 又 富士山の八合目以上は浅間大社に所属している(現在も!)んですかー。へーっ。/話それますが、江戸時代には川の近くに三重塔が建ってたんですねー・・・)
湧玉池の方へ行ってみましょう。



↑潜り戸の向こうには 水屋神社 というお参り処もあるみたい。
(↓潜り戸を潜ったところ_)

池の端に出ました。

これが「湧玉池」ですね?

(↓説明板。)

「この池は霊峰富士の雪解けの水が溶岩の間から湧き出るもので水温は摂氏十三度、湧水量は一秒間に2.4キロリットル、年中殆んど増減がありません。/昔から富士道者はこの池で身を清めて六根清浄を唱えながら登山するならわしになっております。
つかふべき数にをとらむ 浅間(アサマ)なる御手洗川(ミタラシガハ)の そこにわくたま - 平兼盛」
↓豊かな そして美しく澄んだ水。

↑右上の 縁の切れた箇所から 水は一段(1m程)低くなった東の池の方へ流れていきますー。
↓が、そちらへ行く前に左手に建つ あの丹塗りの社_末社-水屋神社へ行ってみましょう。




藤棚の下を進みます。


↑水を頂かれる皆さん。
↓そうか 手を清めるための水じゃないんですね・・・。

上の札に「飲用される場合は天然水ですので煮沸してからご利用願います。」と書かれています。

社前に出ました。

改めて_末社-水屋神社。御祭神は御井神、鳴雷神 との事。

ん?ペットボトルが並んでいる?

↑左の札 「この御霊水は、霊峰富士の御神体に滲み込んだ天水がながい年月を経て湧き出している神水です。/どうぞ、水徳の神、浅間大神のお恵みを御神徳としていただいて下さい。
御霊水のいただき方
お気持ちをお供えの上、二礼二拍手一礼の後、感謝・記念し 手水鉢よりお汲み下さい。
注意
この御霊水は古来神様にお供えし、私共も日常の飲料としておりますが、あくまでも天然水ですので お気になさる方は沸かしてお使い下さい。」
右の札 「富士山御霊水 / 御霊水御受けの方で容器を使う方は御賽銭として200円程度賽銭箱にお納めください」
(なるほど、そういう事ですか)
手水鉢というのは 多分 この 池側の鉢ですね?

引き返します。


↑本当は この池_上池 と
↓その東の下池(どちらも「湧玉池」) の間に「禊所」という場所があり 複数の流れが 東の湧玉池に流れ込む様子が見られるようでしたが、お人がいらっしゃり 写真は遠慮しました。



↓池の端に末社-稲荷社。

その先の橋を渡った先には厳島神社。


(↑この橋は「神路橋」)
ゆわれのありそうな石柱_。

字は読めませんでしたがー

隣に立つプレートによると、「御神幸道首標(ゴシンコウドウシュヒョウ)の碑」との事。

↑「明治の初めまで行われていた「山宮御神幸」(←山宮はお浅間さんの「旧社地」。昔の遷座をなぞる神事) に利用された御神幸道の起点の碑である。御神幸は、春秋の大祭前日に浅間大社と山宮浅間神社との間を祭神が往復するもので、祭神は鉾に宿って移動した。鉾を安置した鉾立石が、浅間大社の楼門前と山宮浅間神社の境内に残されている。
御神幸道の50丁(1丁は約109m)の間には、1丁目ごとに目安の丁目石が置かれていたが、現在その大部分は確認することができない。」
ふーむー。
こんな石碑も。

「特別天然記念物 湧玉池」

↓説明板。

↑「湧玉池は、約1万年前の富士山噴火によって噴出した溶岩流の末端に位置している。富士山に降った雨や雪が溶岩流の隙間に貯えられ、溶岩流の末端から押し出されるように湧き出し、池となったと考えられている。湧玉池は、富士山の湧水のうちでも規模が大きく、学術上貴重なものであることから、昭和27年(1952年)3月29日に特別天然記念物に指定された。また、湧玉池は世界遺産富士山の構成資産である「富士山本宮浅間大社」に含まれている。
池の面積は約2.500㎡。水温は指揮を通じて約14℃、水量は年平均毎秒2.1㎥(平成25年度)あり、池から神田川に流れ出し、市内を流れている。
浅間大社の社殿によると、噴火する富士山を水徳の神(浅間神)の力により鎮めるために、湧玉池の畔に浅間神社を建てたという。また、湧玉池は登山者が身を清めるために禊を行ったところで、室町時代の富士登山の姿を描いたとされる「絹本著色富士曼陀羅図」(国指定重要文化財 浅間大社蔵)には、湧玉池で禊をする道者(登山者)の姿が描かれている。」
↓曼陀羅部分。お~っ右の方に禊場が。

↑しかし 他の部分も興味深い。鳥居の両側に 「随神さん」?(後で見た江戸時代の境内図では左が「薬師堂」右が「阿弥陀堂」になっていましたが...) 又境内に小社が12見えます。これは 御子神の祠、でしょうか?(でももしそうなら「18柱」分あってほしい・・・)
↓右側の、湧玉池の範囲を示す図も面白い。

↑禊所の北側に四角く囲まれた場所があります。何かの遺構のようですが もしかして古墳? 浅間大社が遷座する前ここに鎮まっていたという地主神の社跡とか?
しかしググってみたらこれは 江戸時代まで建っていた「護摩堂跡」でした。
(参考にした頁_PDFファイル「浅間大社遺跡/山宮浅間神社遺跡」/左の頁ナビ「5」「26」)
ここも江戸時代までは 神仏習合の宗教施設だったんですね・・・。(上でも打ちましたが、 室町期の曼陀羅に描かれている鳥居の両側の小社は、PDF「26」に載る江戸時代の境内図では「薬師堂」と「阿弥陀堂」、になってます。色々「へー」)
「神幸橋(シンコウバシ)」を渡ります。

湧玉池の水は この橋の先からは「神田川」と呼ばれる事になります。

橋から下流を見たところ_


振り返って見る湧玉池。

(↑橋をはさんで まるで違う水の景色ー。不思議な場所です。)
神幸橋から西を見たところ_。

↑丹塗りの鳥居は「東鳥居」。その先の直線の道が 流鏑馬の行われる「桜の馬場」です。

(↑向こう岸の青い標識には↓)

「一級河川 神田川 起点 静岡県」と記されていました。
それにしてもここは 何と水の豊かな所でしょうか。/ 山宮浅間神社にいらした「お浅間さん」がこの地に遷座されるまで ここに鎮まっていた元々の地主神「冨知(フヂ or フクチ)」は 水の神様 と考えられているそうですが なるほどー と感じました。
さて 戻ろうとして・・・
東鳥居の近くに石碑があるのに気づきました。

「駿州赤心隊」_。

勤王派の浅間大社の大宮司-富士(←大宮司家の姓)重本が結成し率いた草莽隊のようですね?/ へー、重本さんは 靖国神社の前身「東京招魂社」の社司になられた~ んですかー。/ 明治に入っての「神仏分離令」など 重本さんの目には どのように見えたのかしら...。(ここ富士宮の「大社」も 仏教系の施設を手放さねばならなかったはず_ 複雑なお気持ちだった、かな?)
戻りながら見た あれこれ。
(↓池の端から又拝殿前に向かおうとしているところ_)

丹塗りの塀近くに 御籤結びがありました。

「咲良(サクラ)みくじ」というお御籤なのですが、結ぶと丁度富士山のようになって 「おもしろい」でした。

拝殿横の桜の木の下に 絵馬掛け。


(↑意外にも(?)桜の意匠の物は見かけませんでした。)
ささげられたお酒の樽には、 やはり「富士」がつくものが多かった。

おや、あれは何でしょう?

へー「火山弾」に「南極の石」_。

何って事ないものと見えますが・・・


↑「名称 火山弾 / 目方 約三十貫(約百キロ)
これは富士山噴火の時に、地中の岩漿(ガンショウ=マグマ)が火熱のために溶けて空中に吹き上げられ落下した際に、酸化して冷却したものです
この様に形が整って大きなものは、珍しいといわれています。」
↓そしてこっちは「南極の石」。

想像していたカテゴリーの外、のものでしたが、意外にも・・・

「この石は、南極奥地より氷河に乗り幾億年もの歳月を経て流出し、地吹雪により風化したもので、第七次南極観測船ふじの乗組員により採取されました。
富士浅間大神の、御神霊を奉斎して、昭和基地に赴いた砕氷艦、ふじ、の乗組員 赤池稔氏の(富士宮市出身)奉納であります。/富士山本宮 浅間大社」
_えにしとゆかりのある方からの捧げものだったんですねー。
さてでは退出しー

来しなに通った「お宮横丁」で 「富士宮焼きそば」を食べましょう~♪ / つづく