湯河原駅周辺 | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

今回私達 湯河原へは電車で行っております。
電車で というのは久しぶりの事でー

せっかくだから、と(?)駅周辺もしっかりめ に歩きました。

まずは 駅舎内_

あ、この狸には見覚えがあります。


↑湯河原温泉の始まりの物語、「狸がみつけた、湯。」

改札を抜けると


隈研吾さんが手掛けたという「光さす屋根」が現れました。

へー こんな風になってたのね。


↓南側には 「手湯」もありましたよ。


(温度は 結構熱め でした)



(↑手湯の南から見た駅改札口)

(↑道路側から見た「光さす屋根」)

「光さす屋根」の東側はバス乗り場。



ロータリーの島にー

土肥氏館跡と刻まれた石の上に土肥実平夫妻の像。(これは以前からここに立っていましたが)/ ここは土肥氏の居館跡の「御庭平」と呼ばれる場所(ただし遺構は発見されておらず「推定地」)、だったのですって。


↑土肥実平は、1180年 石橋山の戦で敗れた頼朝を守り 真鶴から安房へ逃がした「頼朝の命の恩人」。又その婦人は 頼朝らが杉山に隠れ潜んでいた際 民に変装して食料を届けるなど 自ら危険を冒して忠義を尽くした「武人の妻の鏡」とされる人。
↓「乾坤一擲」の碑。


駅前の道を「鮨こゝろ」の方(西)へ。

角地に小社があります。


御嶽(ミタケ)神社、ですって。

(こちら_神社庁のHPには記載がありませんでしたが 祭神を蔵王権現と載せる頁が複数あります。ソースを知りたいなあー)
境内には他にも小さな祠が二つ。

どんな神様の祠でしょう。(右の祠前には小さな狐さんがいましたからお稲荷さん、と思われます。が 祠前面は ノミで粗くえぐられてるんです。もしかしたら仏教系の像が刻まれてた・・・のかも?)

道の向かいを見ると、

「湯河原の英雄 鎌倉武士『土肥実平の館』」と書かれた看板が。

タウンニュースによると_2022年3月まで開館していた施設だそうです。(コロナで武者行列などができなくなり せめて と鎧兜や資料を展示した~ のですって。)

で、その先に見えてくるのが、「鮨こゝろ」。



食事の後、道路を南へ渡ると 「味の大西」本店です。

ここも一度訪ねてみたいのだけど ネット情報によると 今は大盛サービスがスゴすぎて食べきれない~ なんて聞いて、ヒルんでいます^^;)))

↑時に_
お店の行灯に「さがみの小京都」とありますね? 「へー そうだったのー?」だった私達。/ 後で 駅前のポケットパークの説明板を読んで「なぜ湯河原が 小京都 と呼ばれるようになったか~」を知る事になるのですが・・・
その話は又 後ほど改めて_。

 - - - シーン抜け - - -

スイーツファクトリーTIVOLIまで来ました。

おなかに余裕があれば 「クッキーバイキング660円(1ドリンクつき)」に寄ってみようと思ってましたがー・・・

おなか一杯でー 今回は「見送り」_。

(又の機会に)


駅へ向かいます。

正面に階段、そしてその右にエレベーター。


ちょっと 厳し目の階段・・・。

ありがたくエレベーターを利用させてもらいました。

ブリッジ部分から見下ろすと、下の「街」と 上の「駅 (土肥氏の居館跡の「御庭平」)」の間に 小さな庭がありました。

ここに以前建っていた建屋の名残かしら?それとも人の手が入る前からの地形(河岸段丘)?

帰ってからネットで調べてみるとここは_

京風庭園「ポケットパーク」という場所でした。

↑ストリートビューからもらった絵。残念、さすがに説明板は画像が不鮮明で読めませんでした^^;)
↓4travel.jpさんで読ませてもらいましょう。
https://4travel.jp/dm_shisetsu/11303618
へー 晩年湯河原に住んだ日本画の巨匠・竹内栖鳳の作品を収蔵している『湯河原ゆかりの美術館』(←現・町立湯河原美術館)がある事、京都仙洞御所の州浜の「一升石」が湯河原は吉浜海岸の産である事(← 仙洞御所を見学した時は ガイドさんから「一升石は小田原から運ばれた」と聞きましたが、採取地は湯河原だったという事でしょうか)、 などから
平成11年(1999)「全国京都会議において小京都に認定された」、 んですねー。

覚えましょう^^)!


↓道を渡って駅へ。

・・・遠回り程度ではありましたが、

ひとまわり、終了^^;)


おしまい。



参考までに_
↓2011年2月の 湯河原駅は こんな感じでした。
https://blog.goo.ne.jp/numabe3/e/eb5bf4df12eabed9b0687bfd9e282921