江川家の菩提寺-大成山(ダイジョウザン)・本立寺(ホンリュウジ) | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

江川邸の北の「裏門」を出たところです_。

続いては「徒歩5分」という 江川家菩提寺「本立寺(ホンリュウジ)」へ行ってみます。

改めて 江川邸前を歩きます。

このあたりは 昭和初期に建設された「韮山用水」が 周辺の農地を潤しています。



↓近くに設置されていた韮山用水についてのプレート。

↑江川邸附近で用水は「地下埋設」になっている、との事。/ で、火災発生時には消火のために利用されるんですね。(心強い)



のどかな田畑の中の道を行くと_

東の山の麓に お寺の屋根らしきものが見えてきました。


 - - - シーン抜け - - -


門を潜って_

境内へ。


説明板。

日蓮宗 本山 大成山 本立寺(江川家菩提寺)
   縁起

 当山は、比叡山で修行中の大檀那江川家十六代の当主江川太郎左衛門英親公が日蓮聖人を当地に招き、そのおり日蓮聖人より御自筆の火伏の曼陀羅を授与され、家門繁栄 子孫長久の祈願を奉行される。 


 以来江川家は七百年の伝統を継承し現在にいたる。
 英親公七十三歳の春、身延山に登詣、日蓮聖人より優婆塞(ウバソク)日久の法号を授け御眞筆の曼陀羅・祖師像を授かる。
 本立寺建立の歴史は英親公(日久上人)の力大なるものたり。
 後、永正三年六月(1506)江川家二十四代英盛公が邸内にあった大乗庵を当地に移し本立寺を建立す。(ナルホド- 山号の大成山(タイジョウザン)は、邸内にあった大乗庵(ダイジョウアン)を源にしている、んですね?/+ こちらのPDFでは邸内にあったのは「大乗院という庵」になっています_)
 現在の本堂は、昭和三年四月八日落慶入仏式を奉行す。
 本堂裏に江川家代々の墓碑が並び一段目の中心に開基優婆塞日久上人の墓、最上段に源英龍・担庵公・源英敏公・源英武公の墓碑が七百年の伝統を伝え現在に至る。 (最後の「源~」は、_苗字は「江川」だけど 氏は「源氏」、という事なんでしょうね?)

石段途中の手洗い処_


水、、、止まってた。

こちらは 香炉と英龍(担庵)公の像。



上がり切った所に本堂。

手前に鐘。



本堂の屋根。


↑鳥襖の下に 江川家の紋。

虹梁の彫刻も立派。

幕にもー

賽銭箱にもー

格子の扉にもー

井桁に菊、です。

ご挨拶して_

本堂周辺を歩きます。



(↑渡廊下の下が潜れるようになってますー)

↓こちらは日蓮聖人でしょうか?

↓台には立正安国(リッショウアンコク)、と刻まれています。


さて、本堂裏手は墓所となっており、江川家の皆さんもそこにお眠りでした。


絵はここまでにいたしますが_
墓石のデザインが独特で美しかったです。(まるで 石で造られた「繰出位牌 屋根付」。お墓も地方によって色々なんですねー)/ 手を合わせながら「鑑賞」(失礼)してしまいました。

一周してー
鐘撞堂裏の階段も上がってみました。

(↑鳥居の文字は「玉女峰」ですかね?)
石段の上には・・・

・・・あれ?


斜面地近くに山神さんの祠があるばかり・・・。


玉女峰、は?

後でわかりましたが、玉女は 日蓮に正体を見破られた龍女。彼女を祀る「七面社」が山の上にあった、のでしたー。

(↑右下が「七面社」。)
↓グーグルマップに画像もありましたよー。(人が写ってるもの、堂内の様子がわかるものも。)

(日蓮宗のお寺には大抵七面天女を祀る「七面堂」があるといいます。こちらは明治になってお堂を神社風に「七面社」になさったとか、かなあ?)

__という訳で、鐘の裏の石段は 七面社のある峰への登山口、だったようですね。



<+>
更に_ググって知った事ですが この「七面社」が建つ場所には「本立寺付城 跡地」という 豊臣側の砦があったそうです。(へー)
(↓本立寺付城についてはこちらを)
https://www.sankei.com/article/20160605-YNDIRYPQKVJSZB6KJ2BL3JP7W4/



戻りましょう。


この後は 韮山反射炉へー。