「小田原ゆかりの刀剣」と 梅丸あれこれ | (又)おだわらぐらし はじめました

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「新しい日常」を綴って参ります

今 小田原城天守閣4Fでは 「小田原ゆかりの刀剣」という企画ものの展示 が行われています。

刀剣に対する知識は全くありませんが (折角無料で入館できる「福寿カード」をもっているのですし、と^^;) 見に行ってみました。




4Fに到着。

企画展の写真、
何枚か撮らせてもらいました。(_ 天守閣所蔵 の物は撮影OKでしたが「個人蔵」の刀剣は撮影お断り、になっていました。)

↑説明板_
小田原相州(オダワラソウシュウ)/ 末相州(スエソウシュウ)
 ここでは、室町時代末から安土桃山時代のかけ、相模の戦国大名小田原北条氏の治下で制作された刀剣群を総称していう。
 相模国には、鎌倉時代以来政宗らに代表される鎌倉「相州伝」の刀工・刀剣群がある。小田原では、永正年間(1504~21)の中頃に駿河国島田の刀工義助を棟梁とする島田系の鍛冶が来往し、鍛刀を開始した。これは伊豆から相模へ進出し、当時は伊勢を称していた北条氏が、小田原を相模支配の拠点とし、整備を進めるのと軌を一にする。北条氏の勢力が伸長するにともなって鎌倉の鍛冶が加わり、小田原相州の刀工は主に島田系の鍛冶と鎌倉系の鍛冶の二派を中心に構成され、新たな作品を生み出していった。
 氏綱(←二代目)・氏康(←三代目)ら歴代当主の庇護を受けて 綱広・綱家、泰国・泰治らの刀工を輩出し、戦国大名の需要に応じた小田原相州の刀工は、江戸時代以降も鎌倉で鍛刀を続けた綱広らを除き、小田原北条氏の滅亡とともに姿を消した
なるほどー 戦国時代が終わると・・・ 刀鍛冶もいなくなっていったのか・・・。

では 天守閣が所蔵する刀や薙刀 槍などを拝見ー。














・・・ いやー どう鑑賞してよいのか 申し訳なくも 全然わかりません。が、
何百年も昔に鍛えられた刃が 錆びるどころか くすみもせず輝いている事には驚かされます。/ 大切に守られ伝えられてきたもの、 なんですねー。




時に_
天守閣入口では 梅丸(←市のゆるキャラ)が働いて(?)ました。

(↑この梅丸 梅色ほっぺで 可愛いなあ~^^)

勢いで(?)
小田原のあちこちで見かけた梅丸の絵、貼っていきます。

先日三の丸ホールでは 館内で挨拶回り(?)をしてました。(「かながわ伝統文化 こども歳時記」の日)




市役所の北の壁の梅丸。/ ちょっと痛々しい。塗り直してあげて欲しい。

あー 曽我の梅林の梅丸蛇口はもっと非道かったっけ・・・。


梅の頃のフラワーガーデンで_


これは去年撮ったものだけどー 


(↑こんな顔もするんだ とちょっと驚きましたっけ。)
↓暮に駅地下(ハルネ)で見た「カラーテープアート」の展示作品、の梅丸。素朴で良かった。


↑弟分(?)青梅丸(??)も いい^^)


<+>
梅丸のイラストは営利非営利に関わらず無料で使用できる、そうです。(↓使える絵 一覧)
https://www.city.odawara.kanagawa.jp/global-image/units/489362/1-20210618195541.pdf 
ただし使用承認申請書を 小田原市観光課 に提出し(メール、郵便、持参)許可を受ける必要がある との事。又 使う時は 「規格(縮尺とかかな?)の変更、色の改変は行わない」というお約束も守らなくてはならない そうです。/ 著作権物ですものね。
又 LINEでは120円で梅丸スタンプも売られてるんだって。
へー。

↓おまけで「おだわら梅丸音頭」^^


おしまい。