佐原の諏訪神社 | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

佐原(サワラ)の旅 二日目は 佐原の町を散策しました。
スタートは佐原駅前から。(なぜなら駅の隣のビジネスホテルに泊まりましたのでー)


駅前に立つ 伊能忠敬像。/朝見てもやはり「お顔がよくわからない」のでした。。。


駅前の道をまっすぐ歩き、
諏訪神社」へ。

(佐原は 夏と秋、年二回繰り広げられる賑やかなお祭りで有名ですが 諏訪神社はそのうち「秋」のお祭りを開催する神社だそうです。しっかり拝見しなくては。)

↑社号標と鳥居。


右手に案内板。


あ、伊能忠敬ですよ。


東向きに立っておられ、お顔もよくわかります。

↓近くにあった説明板。

(この日は この後 伊能忠敬記念館へも行っております_)

その先に諏訪神社の鳥居が建っていました。


(↑右手に由緒書? な板が立てられていましたが 字が読めなくなっていました。)

参道を進みます。


石段を上ります。

途中 右手に手水舎。


↑屋根の瓦に五枚の葉っぱの紋。「諏訪梶の葉」のバリアンツ?
↓石の水盤には 柄杓が添えられていました。


その先、高台側の鳥居の上にはー

金毘羅さん。


(↑扁額の文字は「金刀比羅(コトヒラ)神社」)
↓石段を上ると_

↓社があった。


(↑カッコイイポーズの狛犬)



↑扁額。最初の文字はちょっと読めないけど琴以外考えられませんよね 後に「_平大明神」と続いてるのだから。

一度戻ります。


石段の横には_

井戸。

その後ろは池でした。


戻って_手水舎の参道を挟んだ向こう、にはー

末社と並んで 石碑が立てられていました。

↑「万國衣冠拝冕旒 (万國衣冠して冕旒(ベンリュウ)を拝す)」と刻まれています。
大正三年(1914)に置かれた「大正天皇御即位記念の碑」だそうです。

一段上には_



「土盛稲荷大明神」というお稲荷さん。

その先にも お名前はわかりませんでしたが 末社がいくつか。


階段を上り切ったところに_

諏訪神社の社殿が建っていました。


唐破風の下には・・・



↑亀? 
↓紋は「諏訪梶の葉」



諏訪の神(オオクニヌシの息子 タケミナカタ)を祀る諏訪神社 は一種 全国どこにでもある神社、ですが_
タケミナカタを負かし 出雲から諏訪へ追いやった神 である フツヌシを祀る香取神宮のおひざ元 佐原、では タケミナカタ様 ちょっと居心地悪いかな? なんて・・・ 余計な話でした。

由緒書きによるとー

佐原の諏訪神社は 大神惟季(オオガノコレスエ)(←大神惟基の息子?) という人が 「伊予国に藤原純友を伐った功績により(?)下総国大須賀荘(現・成田市-伊能)領主に任ぜられ領内鎮護の神として信濃国諏訪大社より勧請 その後二十余代を経て天正年間(1573~1592)領内の農民を率い佐原を開発するに際し奉遷守神と仰いだものであります。この御社殿は嘉永六年(1853)ご造営のものであります。」
だそうです。 

(ここに載る伝承についてはよくわかりませんでしたが、 伊能氏 についてググると 祖先が「下総国香取郡大須賀郷を拝領」した~ という(よく似た)話が拾えました。成田市-伊能には大須賀大神(オオスガダイジン/オオスガオオカミ)という神社があるようですし 大神(オオガ)と伊能の間には 何か関わりがあるのかしら? )

社殿を一回り。







横に建つ神輿蔵には お神輿と龍の彫刻が。



(↑立派ですねー)

その先にはー

摂社末社が並んでいました。

こちらは三峯神社。

隣はお稲荷さん。

その先にもお稲荷さん達。


・・・ではお暇してー


改めて 町歩きに出発です。/ つづく