仙波(センバ)東照宮 他 | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

では 元々は喜多院に属していた~ という神社や権現さんを訪ねてみます。

まずは山門のすぐ脇の「白山(ハクサン)権現」。(↓左の小社。)

↑この白山権現は、天長7年(830)に慈覚大師円仁によって無量寿寺(現・喜多院)が創建された時 鎮守社として建てられたそうです。/ 尚、右のブロンズ像は 天海上人。

道を渡った所には_
日枝(ヒエ)神社がありました。(日枝神社(=山王権現)は天台宗の総本山-比叡山の鎮守社。)



(↑鳥居手前の手水舎の向こうに チラ とさっき寄った白山権現前の紅葉がー)
この社も 喜多院創建時から境内に祀られてきたといいます。


時に_
前の項に打った話ですが、
喜多院の多宝塔は 元々は「白山権現」と「日枝神社」の間に建てられていました。/ 大正13年に道路を通すために多宝塔は慈江堂近くに移されたのですがー・・・

↑塔が建っていたのは 古墳(日枝神社古墳)の上だった、のだそうです。/ 平安時代_多宝塔を建てる時も、そして 大正時代_道路を作る時も、 そこに葬られている人があった という事には 気づけなかった模様ー・・・。


続いては仙波東照宮へ。


↑入口手前の説明板。
「仙波東照宮
 徳川家康をまつる東照宮は、家康の没後その遺骸を久能山(←静岡市)から日光に移葬した元和三年(1617)三月、喜多院に四日間とう留して供養したので、天海僧正が寛永十年(1633)一月この地に創建した。その後寛永十五年(1638)正月の川越大火で延焼したが、堀田加賀守正盛を造営奉行とし、同年六月起工、同十七年完成した。当初から独立した社格はもたず、喜多院の一隅に造営されたもので、日光・久野山の東照宮とともに三大東照宮といわれている。社の規模は表門(随身門)・鳥居・拝幣殿・中門(平唐門)・瑞垣・本殿からなっている。本殿の前には歴代城主奉献の石灯籠がある。なお拝殿には岩佐又兵衛勝以筆の三十六歌仙額と幣殿には岩槻城主阿部対馬守重次が奉納した十二聡の鷹絵額がある。」

随身門。

その脇の説明板。

(「以前には後水尾天皇の御宸筆を象った「東照大権現」の額が掲げられていた」そうなー)

門を潜って 正面の石段の方に進みます。




ちょっと話それますが_
参道に埋められた小石が 一 二 三 で、修学院離宮の「一二三(ヒフミ)石」を思い出しました。


石段をのぼります。

その先には鉄格子の門扉が。

えー ここまでしかー?(地図を見ると 正面の建屋は拝殿で 奥に玉垣に囲まれた神殿部があるようなのですがー・・・)

むーん、ちょっと残念ですが 仕方ありませんね。

(↑時に ここもお城や喜多院と同じく「東向き」に建てられていますねー )))

社殿前に 年経た感じの狛犬達が向き合って座っていました。


ご苦労さま。

おいとまします_。


続いて もう一か所、喜多院ゆかりの寺院である「中院」へ行ってみました。