鎌倉時代には 北に仏蔵院(北院←後に天海が喜多院と改める事に)、南に多聞院(南院←川越高校の北あたりにあったもよう)も建立されます。/ 仏地院が中院と呼ばれるようになったのは 他の寺院との位置関係から、のようですね。
(尚 中院は 元々仙波東照宮の建つ場所にあったそうですが、江戸時代に東照宮が建立され 現在地に移っています。)
仙波東照宮を出て、通りを南へ行くとー
川越高校の手前の角地に 囲い地 があります。

ここが多聞院=南院跡、との事。


(↑奥に「南院遺跡」と記されたパネルがー)
(↓南院には閻魔堂があったみたいですねー)

道なりに行くと_
中院の 第一駐車場(左)と 第二駐車場(右)の案内板が表れました。


まっすぐ(というか左へ)行くと_
赤門、がありました。

お庭の紅葉の赤が合わさって 華やか ですね。

奥へ進みます。


(枝垂桜だ。紅葉の残る詫びた冬の庭もよいけれど、春はさぞや・・・)

ここがお玄関でしょうか?

(↑観光客の姿がなく、 檀信徒以外立ち入り禁止 とでもどこかに書かれていたかしら? と おどおどしながら・・・ 遠くから撮ったのでこんな絵に)))
東向きに建つ本堂。

御本尊は阿弥陀如来。

扁額には「無量寿」_寺号が記されています。


(↑お堂前の扉は閉まっていましたが、細い嵌め込みに御本尊様の写真が。/花のような雲文の光背をもつお像は はんなり 麗しく見えました。)
↓右(北)、

↓左(南)。


鐘楼門の方へ行ってみると_

手前に六地蔵さん。(この裏手は墓地です。)

鐘楼門の下を潜ります。

見上げると 八角形の穴から 鐘が見えました。

↓表(東)から見たところ_。

墓地の方に花が見えたので行ってみると_

10月桜が咲いていました。(12月なのに!)

本堂側に引き返したところに 釈迦堂。


↓そばに仏足石。

又 近くには「狭山茶発祥之地」の碑が。

何でも 「慈覚大師円仁和尚が、当山開山の時、京より茶の実を携え境内に薬用として茶を栽培したのが始まりで、その後河越(川越)や狭山の各地で広く栽培され、当地の名産となりました。」のだそうです。
境内には 島崎藤村が義理の母-加藤みきさん(川越出身の妻-静子の母)に贈った茶室 「不染亭」もありました。(みきさんは藤村の茶の師匠で、不染はみきさんの号だそう。)

(↑尚、手前の石に彫られた「不染」の文字は島崎藤村の筆になるもの、とか)
静かで_心落ち着く_

そして 見どころ多いお寺でした。