淡島の淡島神社 | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

淡島山頂にあるという淡島神社を訪ねてみます。

(↑あわしまマリンパーク カエル館から南へ 海沿いの道を歩いています。)
↓山側に鳥居が現れた。



↑「標高137m、淡島神社まで あと650m」、だそうです。
↓あら、こっちの説明板では 社号が「厳島神社」ですね。

↑「厳島神社 
鎮座地 / 沼津市重寺淡島四七六
御祭神 / 市杵島姫命 (中略)
由緒 / 由緒及び創立は詳かでない。本社を安芸の宮島の厳島神社と仰ぎ、住吉より「淡島弁財天」として海上安全・大漁満足の御利益をご祈願し、駿河湾の海の守り神として崇められている。
地域の安泰と発展また氏子住民の家内安全・生業繁盛の為に祀られ篤い崇敬を集めている。
現在、静岡県神社庁の十四等級に列している。」
↑かつては淡島弁財天が祀られていたといいますから 明治に入って(仏教系の弁財天を祀っては神社として認められないから)祭神を市杵島姫命とし 社号も「厳島神社」に~ という事でしょうか。/ 和歌山市加太の淡島神社では 淡島は住吉の神の妻神の名とされています。加太の淡島信仰と関係が?/ ともあれ 通称としては今も「淡島神社」が用いられる事が多い、みたいですね?
↓注意書。

↑「 【淡島神社に登られる方へ】
 淡島神社までは山道となっております。また、ところどころ険しい坂や階段もございます。 往復50分の参道です。(後略)」

_確かに「往復50分」は 参拝者に知らせておいた方がいいですよね。船の時間に遅れたら大変ですから。

さてでは 覚悟して(?) 上がりましょうかね。


(↑鳥居の扁額の「淡島神社」でしたー)
↓階段脇に小さな祠。

(上まで上がれない人のための拝み処かしら?)
そのそばにも・・・。/ こちらは龍宮神社、のようです。

↑祠脇の石に「御■前(?)」・・・読めそうで読めない。
↓あ、これは「御寶前(ゴホウゼン)」だ。(さっきのも同じ字だったかもー)


参道上には紅白の提灯が下がっています。(灯篭代わり、かな?)





思ってた以上に「山道」でした・・・。

↓おや、何か ある。

あ、以前は(右に写る)バリケードの向こうに ロープウェーの「山頂駅」があったんだ。

↑手前の案内板に
「山頂駅→
 展望台→
←淡島神社
←お中道」とあります。 (お中道、は山腹を一周するコースをさす事がありますよね?もしかしたら淡島のお中道も?)
↓バリケードの先に鳥居が見えました。/ ロープウェーの山頂駅からお参りする人のために付けられた参道の名残、でしょうか?


引き続き 山を上がります。


↓道脇に社号を刻んだ石。


↑「淡嶋一九〇メートル」(あと190m、の意味でしょうか?)
尚行きます。



↓「神社まであと三分の一」その下に「淡島神社まで230m」(あれ?するとさっきの石に刻まれてた「一九〇メートル」は すでに190m歩いたの意味?でもそれじゃ あと1/3が230mにならないから・・・ 「直線距離であと190m」って事だった? 動かされた??)))

ともあれ、あとちょっとだ。

おや この縄を回された石は?



↑亀岩、ですって。

尚々行きます。



(↑道脇に応援メッセージ。「もう少しだからがんばって!」)


↓石段脇に何か説明板が・・・。


↑「石切段
 この石切階段は淡島全体を型どる大きなピラミッド型の頂点部分の岩です。
 淡島神社の造営にあたり、諸々の資材等を運び上げる時に苦心して 手ノミで作ったものと思われます。
 この階段の下部の方に「五大」■「豆州重寺」等の字が刻んであり当時の苦労がしのばれ、頂点に■■現在の鳥居は文政十一年(1828年)に重寺部落(領主は秋山喜平治)の■■の四律元(網元)と四組の建立■なっています。」
(ところどころ読めませんが この辺りの石段は 山頂の岩を直接削って作られた~ ようですね。)

石切段の上に現れた鳥居~



~ の先はフラットに整地され、そうと知らねば山頂の神社境内とは思えない程でした。



参道の先の神社では 若い男の子たちが熱心にお祈りしていて・・・ 私達は暫く絵馬掛け前で(参拝が終わるのを)待っていました。

↓絵馬のデザインは アニメ「ラブライブ!」のものでした。沢山掛かった絵馬の中には英語で書かれたものもー。


改めて_
↓淡島神社、です。


鈴の奥の 扉の上の扁額の文字は「天女王」でした。(弁財天を ”荒々しい龍神を鎮め善神に変えた 妻の天女” とする神話からきているものでしょうか。)


社脇の説明板。

「 淡島神社
  淡島弁天 (以降は戝に代わり より一般的な「財」の字を打たせて頂きます)
 淡島弁財天の御神体は正面八臂弁財天であり左方毘沙門 右方大黒天共々黒塗厨子に納められ厨子の前には二十五童子が併祀されている。
 この弁財天は江戸時代に会場j何飲ん漁業隆栄の守護神として村人の尊重を高め1707年(宝永五年十二月)弁財天神社が建立された。
 明治元年(1868年)に「神仏判然令」により神仏混交が許されなくなり正式名が淡島神社(厳島神社)になった。
よって淡島神社は弁財天と合祀されているのである。
 大祭は毎年四月三日である。」

更に詳しそうな 漢文による「豆州淡嶋辨財天縁由」もありましたがー 読めませんでした・・・。


ありがとうございました。

下りて参りましょう。

そうそう・・・


絵馬掛け横の祠には、

大国さんがいらっしゃいました。


社号が刻まれた石もありました。

↓「丁屋跡」_ とよめますが これは何かな?(かつてあった建屋の屋号かしら?)

↓少し下った所には こんな神像が置かれていました。

(↑大国ブラザーズ?)

上る時に見落としてたものが 結構あるものだ、と思いました。


帰りは、ロックテラス という展望所にも寄りました。




あら、いい眺め。

(↑内浦湾)
(↓左奥が内浦港)

(因みに、この場所も ラブライブファンには大切な場所・・・らしいー)
_引き返します。


バリケード(ロープウェー山頂駅跡、に続く道を塞いでいます)まで戻ってきました。

↓カエル館前の道。


島と陸の間に ・・・ 養殖場(かな?)がありました。


上に掛けられたネットは多分 カモメよけね^^;)

桟橋前で ペンギンと記念撮影 ができる~ というので、、、


我々も一枚 撮ってもらいました。

↑ペンギン君、お互い元気で長生きしようね。


船のりばに向かいます。

(↑昔はここではイルカが飼育されており イルカショーも開催していたといいます。階段つきの浮きはもしかして その頃の名残?)
↓船が入ってきたので、乗り込みます。

↓動き始めた船から 振り返って見た 水族館。

↓島の北のホテル。右奥に なんとか ・・・ 富士山も見る事ができました。

(↓やっとなんとか「富士山」といえる姿を撮れました / 二日間で唯一の 一枚 ^^;)


_あっさり 駐車場のある対岸に到着。(すぐそこ、ですからね)



小さいようで 大きかった淡島。
短かい滞在時間だったけど 一杯見て歩きました。
沢山の思い出を ありがとう。
(海獣たち、ペンギンたち、元気でね。)

おしまい。