寳登山(ホドサン)神社 | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

旧-新井家住宅に続いては 宝登山(ホドサン)の麓の寳登山(ホドサン)神社へお参りしました。



と ここで道脇にちょっと気になる自販機が・・・。

「有隣」「長瀞は天下の勝地 渋沢栄一」

↑「長瀞は渋沢栄一氏とゆかりがあり 「長瀞は天下の勝地」「徳不孤必有隣 (徳は 孤ならず必ず隣(トナリ)あり)」 同氏の言葉が伝わっています」だそうですよ?
↓そばの食堂も「お食事処 有隣倶楽部」と 「渋沢系」だし~・・・。


こういう事があったので

神社境内に入ってー

森の縁に・・・

ちょっと まる っとした人物のブロンズ像が見えた時「渋沢さん?」って思ったんですねー。

が、

関根憲治先生」でした。/ すみません。


さて、陽も傾いて参りました。
ちょっとカケアシで~・・・

_と思ったんですが、
こちらの神社が又素晴らしく~~~

縁起も興味深く~~~

↑「宝登山神社は、神武天皇、大山祇神(オオヤマヅミノカミ)、火産霊神(ホムスビノカミ)をまつり、秩父神社、三峰(ミツミネ)神社とともに、秩父三社の一つとして知られています。
 古くは、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が山に登ったときに山火事にあい、そのとき巨犬が現われ、火を消したことから、火止(ホド)神社と言われていました。
 本殿は銅葺き入母屋造、千鳥破風、向拝(コウハイ)の軒、唐破風権現造りと、江戸建築の技巧美を、今なお伝えています。」

じっくり拝見する事になりました_。

まずこの建屋はー

「記念斉館」だそうです。

HPによると「皇紀2600年を記念して昭和15年着工。戦時下のため苦労の末、昭和17年竣工を見ます。現在は齋館として又、催しもの会場として利用しています。」との事。

_と 大変な時代に建てられたというのに 細部まで美にこだわった造りで 「へええ」と言いながら鑑賞しました。




記念斉館の向かいには_

相生の松。


大正15年に 昭和天皇のご成婚を寿いで植樹されたクロマツとアカマツのペアの松、_ との事。/ なかなか様子の良い松 です。

さてでは 本殿の方へ_。




(↑どこか異国趣味のようなものの感じられる扁額。)

階段の上に社殿が見えます。

まず手を洗います。



(↑この頃では普通になってきた「したたる」式の手水。)

浄めの小さな川を渡り 神域へ。

階段を上がります。

現われた社殿(拝殿)に思わず「おおー・・・」

まるで東照宮のミニチュア版?

↓屋根には花びら12枚の菊(十二菊)の紋。

(菊紋は祭神が初代天皇を始め 天皇家の祖神三柱である事を考えると「当然」ですが、なぜ宮家の十六菊の御紋を使われないのかな?/ 江戸時代にこの神社の別当寺-玉泉寺が仁和寺の子院となり「菊紋を許された」そうなので もしかして そちらの紋、でしょうか?// が、ともかくこれは「許された紋」であり 神紋は「五三の桐」のようでした。)
↓軒の下に鶴。

↓虹梁には龍が 一杯。


↓社号の書かれた扁額にも 龍が~。


その他、 どこを見ても「すごい!」。



東の小壁。

(↑二十四孝の内四話。右から、眼病にきくという鹿の乳を両親に届ける剡子(エンシ/郯子(タンシ)とする事も)。米を親に届ける子路。/ 父をかばって虎の前に我が身を差し出す楊香。母の為雪の中筍を探す孟宗。)
脇障子。

(↑描かれているのは 「長坂坡に向かう趙雲」だそうです。)
↓詳しい説明文がすぐ脇に置かれていてありがたく思いました。

↓天井も素晴らしい。

そうそう、神紋「五三の桐」は 賽銭箱の他防火の桶などに記されていました、よ。



改めて_

寳登山(ホドサン)神社。
御祭神は_
・神日本磐余彦尊 (=初代-神武天皇)
・大山祗神 (オオヤマヅミノカミ)
・火産霊神 (ホムスビノカミ)
(縁起については 上でもう打ってますけれど_...)
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が山頂に向かっていると火に囲まれた。が現れた巨犬が火を消してくれた。それで山を「火止山(ホドヤマ)」と呼ぶようになった。これが寳登山(ホドサン)となった~。ところで 巨犬は大山祗神 の眷属であった。これを知った日本武尊は山の麓に、 山の神-大山祗神と、火の神-火産霊神、自分の祖先-神日本磐余彦尊 の三柱を祀る社を建てた_。これが寳登山神社の起源、との事。

ただ、中世の神仏習合の時代には 寳登山神社は「寳登山大権現」と呼ばれたそうで、当時の社は 永久元年(1113)に 僧-空円が開いた「玉泉寺」の住職が「別当」として管理する社だった、そうです。明治の神仏分離令による混乱期に 権現社を神社とし、社殿を立派に造り、尚且つお寺も廃寺にせず 講も守り~  と 当時玉泉寺を預かっていた方々には大変なご苦労があった模様ー。
詳しくは神社公式HPの「玉泉寺」の頁を~↓
http://www.hodosan-jinja.or.jp/fumizukue/2003/04/212/


拝殿のハス向かいには 神楽殿がありました。

(お掃除中でした)

天井にも絵が。

横から見たところ_

説明板

「(前略) 秩父地方の神楽は六系統に分かれ、寶登山神社神楽は 秩父神社神楽の系統に属し、特徴はまず 舞の多くが「古事記」や「日本書紀」に出てくる神様の舞であること。そして、演劇的な座も 岩戸開きや大蛇退治(オロチタイジ)など神話を題材としたものが中心で、神代神楽(ジンダイカグラ)ともよばれ、これら舞や劇はセリフのない黙劇(モクゲキ)(大蛇退治の最後の場面で素戔嗚命(スサノオノミコト)が和歌を朗詠する以外)である事。また、湯立神楽の要素をもつ釜を神楽殿前面に懸けることが挙げられる。 (後略)」
へー。

神楽殿横の一段高まった場所にはー、

「長瀞町招魂日」が。


その横には「祭器庫」がありました。


これは摂社かな?
「藤谷淵(フジヤブチ)神社」だそうです。


小さな祠ですが、HPによると_
伊勢大神、八坂大神、野栗大神、諏訪大神、琴平大神、熊野大神、榛名大神、竃三柱大神~ と沢山の神様が祀られている との事。(藤谷淵はこのあたりの小字なので かつての村社とかかしら? 調べきれませんでした。)

社殿横を奥へ進みます。

拝殿の北の神殿部分_。

ここの脇障子にはー


↑沓を拾う張良が描かれていました。

↓瑞垣にこんな おしらせ が。
「日本武尊みそぎの泉」

「この泉は 日本武尊様が宝登山に登る前に、身をお清めになられた神聖な泉で『玉の泉』と申します。 (後略)」との事。
覗いてみるとー・・・

↑垣内に 清水をたたえた方形の小池が見えました。

近くに日本武尊を祀る祠もありました。



↑「日本武尊社のいわれ
 このお宮には第十二代景行天皇の皇子の日本武尊がお祀りされています。東国平定の折、この山の神秘な雰囲気と美しい姿に心ひかれた尊は、艱難辛苦の末山頂に立たれ、この地を神を祀るに相応しいところとされ、寶登山神社の礎とされました。
 尊の恩徳を偲ぶ人々は、尊が登山の際、身をお浄めになった泉近くに、このお宮を奉斎しました。
 日本武尊社のお祭りは八十八夜(五月二日)に行われ、尊の登頂の故事に倣い、神輿に奉遷された御神霊は奥宮に赴き祭典が斉行され、神楽が奉奏されます。この祭りは別名「つつじ祭り」と呼ばれ、秩父地方の農耕始めの目安となっているほか、宝登山(ホドサン)の山開きとなる当日の山頂は 参拝者やハイカーで大いに賑わいます。」
(おさらい的に_/ 山頂の奥宮が 元々の寶登山神社で、里宮として玉泉寺境内に置かれたのが 現・寶登山神社 なんですね?)

その隣には天満天神社。



社殿 神殿部の後ろを回ります。


神殿の東側の脇障子には 西王母から長寿の仙桃を盗む東方朔(トウボウサク)の姿が。


瑞垣の東側には絵馬掛けがありました。



(↑絵馬の種類も 火に向かって草薙剣を振るう日本武尊と二匹の巨犬、打ち出の小槌、相生成就の松葉のハート と色々。書かれた沢山の願いや祈り、みんな叶いますように。)
瑞垣の間から もう一度のぞいた「日本武尊みそぎの泉」。



神殿の裏手に鳥居がありました。

赤い旗に導かれ、谷を渡った先にある境内社のお稲荷さんへ。



寶玉稲荷社、だそう。

中には小さな狐さんが みっしり!

↑大変可愛らしかったです^^)
↓いわれ。

↑「このお宮は文政五年(1822)十二月十四日、伏見稲荷社から倉稲魂神(ウカノミタマノカミ)を勧請しお祀りしました。
 五穀豊穣、商売繁盛、家内安全など福徳ともたらす御神徳の高さから、長瀞町内外多くの方々に尊敬されています。
また、紛失物があるときにお参りすると、失せ物が戻りご利益が得られると信心されています。
 宝玉稲荷神社のお祭りは、初午祭(二月初午)のほか、毎月十五日「御炊上祭」と呼ぶ特別な神事があります。
 「御炊上祭」は午後三時、福徳を願ったのち、神使の「御白狐」(オビャッコ)が主神(倉稲魂神)に先立ち、力強く御神徳を発揮しますようにと、アズキ飯と御神酒を山中の磐座にお供えします。」だそうです。

さて、稲荷社前からは 谷へ下りてー


玉泉寺の方へ抜けられる~ ようでしたが、そうすると拝殿の東側を鑑賞し損なうのでー・・・

引き返して~

拝殿の方へ。


(↑上の彫刻は 姑に乳を与える唐夫人、象に耕作を手伝ってもらう瞬。)
(↓その右には 子どもを埋めようと掘った土中に金を見つける郭巨負債。 凍った水の中から魚を得る王祥。)

(↓脇障子には 赤兎馬に乗る関羽。)

(↑んー これは左右反転させた方がよかったのではありますまいか。参拝者は 赤兎馬のお尻より 顔の方を見たい、ですからねえー・・・。)
(↓拝殿内。)


ああ~ 見ごたえありました。(勉強にもなった!)


ありがとうございました。

おしまい。


この後は川辺の宿へー。