秩父三十四番札所 水潜寺(スイセンジ) | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

二泊三日で 秋の秩父を回ってきました。/ ゆるゆる綴って参りますね。

まず訪ねたのは 「秩父三十四箇所観音霊場」の第34番-結願(ケチガン)札所 日沢山(ニッタクサン)-水潜寺(曹洞宗)です。 (水潜寺は秩父の三十四番札所なだけでなく、「日本百観音」の百番目でも。 結願寺からお参りするとは まことに失礼~ですが そうと知らずに来たのです お許しください。)

場所は、県道284号線を日野沢川に沿って上がった先_。

バス停「札所前」のー

すぐ向かいの小坂をー


上がった先、です。

↑角の石柱の文字は「左-秩父三十四番目霊場 / 右-上日野澤 城峯山(ジョウミネサン)-日野澤瀧 道」。

しばらくは 緩い坂が続いていました。

道脇の苔。

うっかり見入って「1mmサイズの人間になって大冒険をしそう~」」」 になります・・・。


左右に灯籠が現れました。


(↓右の看板には「関東ふれあいの道 / コース案内図 ~」が書かれています。)

これは「三界萬霊」と彫られた供養塔


分かれ道・・・。

左は急な でも車も通れそうな幅の道。

右は歩行者用?(「←参拝順路」と書かれた札が立っています。)

(↑左の柱には「日本百観音結願所」の文字が彫られています)
↓傍にあった「水潜寺境内図」。

「参拝順路」の方へ進みましょう。

シュウカイドウ(秋海棠)の咲く川沿いの参道ー。

シュウカイドウ自体は見慣れた花ですがー


種は初めて見ましたー。

(おっと 話がそれました・・・)))

道なりに行きます。

(↑左上に見えるのは 境内図によると「休憩所」との事。)
↓又分かれ道・・・。

↓右へ進むと「札立峠・破風山」ですって。(奥のオレンジのプレートには「クマ注意」と書かれています)))

↓階段を上がると 六地蔵 さんがいらっしゃいました。

「六地蔵尊」の説明板。


その先に観音堂が現れました。

唐破風の上には菊水紋。下には葵の紋。

軒先の鳥は鳳凰かな?/虹梁の上の段には 碁盤を挟んで向き合う仙人~(という事はその左は樵さん?)下の段には巻き物を持って龍に乗る人。(黄仁覧さんかも?)

↑幕には菊水紋。↓その上の扁額には御詠歌が記されていました。

↑「三十四番水潜
 万代(ヨロズヨ)の 祢可(ネカ)ひを此(ココ)に納おく こけの下より出(イヅ)る水哉(カナ)。
 けさまてハ おやと頼(タノミ)し おひすり(=オイズリ-笈摺)を 脱(ヌグ)や をさむる身こそたのもし。」
 
香炉の手前に・・・

「西国 秩父 坂東/ 百観音音砂 // 足型の上でおがめば 百観音巡礼の功徳がある」
 
いやいや そんな事はとてもできません!

ご挨拶。/ 因みに御本尊は千手観音と聞きます。

内陣前の格子に「堂内撮影禁止」とありました。
_という事は外陣はお許し頂けるかしら、と 欄間+天井の木彫と絵を撮らせて頂きました...。

(↑施無畏(畏れなくてもよい)は 観音様を表す言葉_ / 下の彫り物は飛天。)
(↓その左手の欄間には錫杖を持つお坊様?すれ違う後ろ姿の唐人は誰でしょう?/ 更にその横の欄間には鳳凰。)

(↓天井画)


(↑テーマも向きも色々~)
(↓縁起。)

↑ここに御詠歌が記されていました。/ 扁額の崩し文字は これを見て「解読(?)」したのでございます^^;)
<+>御詠歌の二番に出てくる「おひずり(=笈摺 オイズリ)」とは_コトバンクによると「巡礼が衣服の上に着る、袖(そで)無し羽織に似たうすい衣服」の事だそうです。// ここ水潜寺は「巡礼者が笈摺を脱いで納める 巡礼打ち止めの寺」。「ぬぐや 納むる身こそたのもし」には 巡礼者の誇らしい気持ちが表れています。

お堂の隅に 杖や笠 千羽鶴・・・。これらは笈摺に代わる奉納品、、、かな?


ありがとうございました。

(時に、 以前はこの観音堂の南側に 寺名の由来となった「水くぐりの岩屋」という鍾乳洞があったそうですが、 今は崩落の危険がある とて入洞不可 になっていましたー。。。ちょっと残念。)



観音堂の隣に建つのはー

↓「讃佛堂」_。(火灯窓が禅寺っぽいですね?)

↑納経の受付などなさる場所のよう。
↓ただ 「(納経受付は)不在の時は大通院にていたします。」との事。


↓改めての 説明板。

「秩父札所 第三十四番 日沢山 水潜寺
 この札所は、秩父三十四霊場、日本百観音霊場(西国・坂東・秩父)の結願(ケチガン)寺として、巡礼者が打留めの札と笈摺を納めた寺です。
 観音堂は、大きな流れ向拝をつけた六間四面方形造りで、文政十一年(1828年)の建築であります。内陣は壁で囲まれ、外陣は桟唐戸をたて周囲に縁を廻し、内陣外陣の境には格子戸を以て仕切り、その上部に飛天像その他の極彩色彫刻を入れ、組み物は出組で格天井(ゴウテンジョウ)をうけ、鏡板には円形の輪郭をとり、花鳥の様々が画かれています。
 本尊は一木造り室町時代の作と伝えられる千手観音、西国をかたどる西方浄土の阿彌陀如来、坂東をかたどる登場瑠璃光世界の薬師如来が祀られ、日本百観音結願寺の特殊性を出しています。堂内には大日如来の胎内仏で初期鋳造の阿彌陀如来、享保十八年(1733)諸国信者の寄進による修造子育観音など、境内には百観音結願堂、仏足堂をはじめ、七観音、三十三観音、六地蔵などがまつられています。
 観音堂前には、百観音宝前のお砂を納めたお砂踏みがあり、この上で三体の御本尊を拝むことにより、百観音巡礼の功徳が得られると信じられています。また、観音堂の傍の崖下に、清浄長命水を湧出する寺名のおこりの 水くぐりの岩屋 があり、札所巡礼を終えた人々は、ここで再生儀礼の胎内くぐりをし、長命水をいただき、笈摺を納め 心身共に清浄になって俗世の生活に帰ったと言われています。
   皆野町教育委員会」

↓讃佛堂の隣の結願堂の方へ行ってみます。




↑軒の下には二羽の鶴。虹梁の上には龍。
↓扉の上の扁額の文字 「日本百観音 結願堂」。


↑納札箱の前には「百観音御砂」。
↓その横には「百観音功徳車」。

(↑車を回すと百観音を経巡ったのと同じ功徳が頂ける~ というものでしょうね?)

境内奥の小堂は「仏足堂」で_

↑中には仏足石が祀られていました。
↓扉の横には「仏足跡の由来」が刻まれた石板が。

(堂内の仏足石(仏足跡)は仏足跡研究科 十合薫 という方が奉納されたタイ国のもの、とか。)

↓戻って参りましょう。

↓結願堂の裏手に 歌碑と七観音。


↓駐車場の方へ下りながら 三十三観音 にご挨拶を_。



↓「三十三観音の開設」。


↓三界萬霊塔の所まで帰ってきました。


坂を下り切ったところで、
これからお参りなさるらしい高齢の女性が 乗用車から降りられました。杖をつきながら ゆっくり坂を上がっていかれます。息子さんと思われる方は 車を駐車場の方へー。/ 「あら、足のお悪い方なら 車で上がられても・・・」と思いましたけど、 ご本人が歩いてお参りしたいとお望みだったのかもしれませんね。// 結願のお寺へのお参り_ 満願成就なりますように。



<+>
↓参道入口近くのバス停横の

↓「秩父温泉 満願の湯」の看板。

満願の湯、は 来る時もすぐ脇を通りましたが「縁起かつぎに良さげな名称」位にしか思いませんでした。/ が、そうか 秩父三十四番 日本百観音の結願寺の傍の温泉でございますよ、 というアピールだったんですね。

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さて、私達はここからこの日野沢川に沿って 更に川上へ向かい~

「秩父華厳の滝」を見たのでございますが、その話は次の項で。

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↓時に、この地区の川辺の護岸壁は凄いですねー。(お寺周辺の法面も、でしたけれど)

味わい深い石積みです。


少し先の石で築いた堰も 見応えがありましたよー。